12月17日(木)映画  FURY

 映画をみたので、こっそりレビューします。

 

★ストーリー
まだ夜明け前の薄闇の中。

東の空を背景にして地平線から一人の馬に乗った将校が現れる。

帽子に軍服、長靴。

白い馬をゆったりと駆り、荒野を歩いてくる。
カメラが将校を追うと、つぎつぎに打ち捨てられた戦車のシルエットが次々に浮かび上がる。

残り火をくすらせ、激しい戦闘があったことがうかがえる。

そこは戦場跡
と、一つの戦車に馬が近づいたとき、戦車の上から大きな陰が将校に向かって飛びかかった。

陰はあっと言う間に将校を馬から地面にひきずりおとし、その首もと胸元問わず何度もナイフを刺す。

何度も。

まるで、必要以上の怒りをぶつけるように。
将校はやがて力つき、陰は立ち上がった。
ウォーダディ(WAR DADDY)ことコリアー軍曹は、馬に近寄るとその手綱をはずし、荒野に向かって放つ。
馬は薄闇の中、荒野に向かって歩き出す。

1945年4月、ドイツ。
連合軍が最後の攻勢をかけようとする中、ナチスもまた最後の抵抗を試みようとしていた。

ナチスの最後の戦法は対少年兵、老人、女子供を使い、戦車擲弾筒、通称パンツアーファウストと呼ばれる爆弾を持たせ戦車につっこむ自爆戦法にまでおよんだ。
連合軍第2機甲師団第66機甲連帯所属のコリアー軍曹は、北アフリカ、フランス、ドイツと仲間とともに激しい戦禍をくぐり抜けてきた歴戦の猛者だった。

M4A3E8シャーマンにフューリー(怒り)という名前をつけ、そこを家と呼んでいた。

仲間砲手のスワン、装填主のトラヴィス、操縦手のガルシアはコリアーをウォーダディ(戦争おやじ)と呼び、口には出さないが慕っていた。
そんな中、激戦で副操縦士のレッドが戦死し、代わりにタイピストだったノーマン・エリソンという少年の面影を残した新兵が配属される。
ノーマンは戦車に乗ったこともない新人で、仲間達は彼を馬鹿にする。
また、彼も行軍中にまだドイツの少年兵に対し発砲できずに、仲間の戦車が破壊されコリアー軍曹の怒りに触れる。

コリアーは教育のため、ノーマンに捕虜のドイツ兵を射殺させる。
そんな中彼らの隊にドイツ軍の通過地点である交差点の保持が言い渡される。

しかし、彼らの隊は目的地に向かう途中でドイツの戦車ティガーIと遭遇し、4車両のうちフュリー号をのぞく3車両を失ってしまう。
さらに交差点についたとたんに地雷に遭い、フュリー号は立ち往生してしまう。

そんななか300人あまりのドイツ兵がこちらに向かっていることが判明する。
動かないフューリー号を前にして絶望した仲間達は、森に逃げようと言い出すが、コリアー軍曹は「ここが俺の家だ」といい、たった一人で残るという。

部下に逃げることを承諾したコリアーを前にして、彼のおかげで生き残れたことを思いだし、仲間達が次々と彼とともに残ると決心をする。
夕暮れの迫る中、動かないフュリー号を前にして、コリアーが最後の作戦をみなに伝える。

 

★感想
あれ、なんだ?というのがエンドロールでの感想です。
なぜなら映画が、当然戦争映画を見るときのお涙ちょうだいというか、悲劇というか、そういう感情的な爆発をほとんど誘わない映画だったからです。


それで「あ、終わっちゃった。どうしよう。何感じよう?」
というのが正直な感想なんですよね。


印象に残ったのはタイトルの戦車の名前。フューリー。
それから、ブラピ扮するコリアーが劇中2回、フュリー号をさして「家」だと言うシーン。

1回目は新兵のローマンに対して「あれが家だ」といい、

クライマックス前、壊れたフューリー前にして、「これは俺の家だ」と言うシーン。


なんかこれだけが印象に残っている。


でもですね、映画自体は淡々と話が進んでいきます。
ストーリーとしては初っぱなで副操縦士の交代要員として配属された虫も殺せないようなお子さまローマンが戦争の現実を目の当たりにして、少しずつ自ら戦いに向かっていくという成長物語の要素はあります。


とはいえ、終始この映画でかっこいいのはコリアーなんですね。
たとえば、ドイツの兵器ティーガーIとの戦闘シーンではこちらの戦車4台のうち3台がやられてしまうんですね。

戦力というか兵器としての差が連合国とドイツでは歴然としているのですが、この難局を乗り切るのはコリアーの的確かつ迅速な指示なんですね。

彼の戦車と兵員を操る能力、まさに戦争おやじなわけです。


なので、ブラピ燃えの映画か?チームワークか?と思ったときに、家と家族というキーワード、戦争おやじという言葉がつながってきます。
ブラピをおやじとする、フューリー(戦車)を家とした家族の話なのではないかと。


でもですね、これもしっくりこないのです。
そして、また思考のループへなのです。
タンクムービーとも言われているようで、いわゆる戦車(のりもの)見せの映画という側面もあるのだと思います。
人間ドラマにしては、淡々としすぎていますから。
かと言って、燃える愛国心をかかえる男達の話か、というとそうでもないんですね。
劇中、国がどうだとか、いう場面ってないんですよね。
彼らは連合国軍であり、どうも傭兵のような、与えられた敵を撃破していくそんな淡々そしたソルジャーのように描かれている。
でも、よく考えると逆にそれがリアルなんです。


お国の為とかではなく、戦争がはじまってしまい、望むと望まざると命のぎりぎりの瀬戸際でいきることになったとき、単純にそこで生き残ることが重要になってくる。
命を脅かすもの。
それが憎い。

憎しみは怒りとなり、怒りは攻撃に変わる。
その戦争と怒りをすみかとする、そんなコリアー軍曹。
怒りだけが正しく、実感の伴うもの。
人種でも国でもなく、ただ怒れる男の話。

でもですね、その怒りは意図的にコリアーが持とうとしている感情なのです。
なぜなら、コリアーは自暴自棄でも残虐な男でもないから。


物語冒頭、仲間のレッドを死なせてしまい「助けられた」と後悔し、仲間から離れたとたんにめまいにおそわれるようにこっそりと、ただ一人落ち込むシーンがあります。

戦争おやじと言うのは、自らそれを演出し仲間、部下に安心を与えるための演技でしかないということがここで描写されます。
そして、もう一つのシーン。
占領した街で、コリア―は暴力的な行為を仲間に封じ、できるだけ紳士的にふるまおうとします。
素の彼は普通の人間よりも、穏やかで冷静な人間なのです。


しかし、それでは戦争では生き残れない。
だから、こそ自分を怒りに駆り立てるために戦車にFURY(怒り)と名前をつけたのではないでしょうか。

それにきづいたとき、これは意識的に怒りをまとう男の物語なのだと、やっと認識でsきます。

同時に、やっとこの映画の悲惨さが見えてくる。
でもですね、戦争を単純に悲惨に見せる演出をこの映画は避けているため、なかなかこの意図がみえてこない。

怒りというタイトル、そして戦車の名前の意味を考えたときにはじめて見えてくる。
これもやはり悲惨な戦争の物語なのです。

 

 

余談ですが、このフュリーという単語が怒りだとはしばらく気がつきませんでした。

銃夢のコヨミたんが飼っている初代フューリーしか思い出せませんでした。そのフューリーもラストはめっちゃかっこよい死に様で、この名前は散華フラグかもしれません。。こわ。。まちがってもペットの名前につけるのはやめましょう。って誰もわからないか(笑)