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12月13日(日)貧困大国アメリカ(08)

 青土社の「現代思想」の8月特別号だったろうか、特集が安保法案で私は恥ずかしながらそこではじめて経済的徴兵という言葉を知った。
 意味は大学生が奨学金を滞納した場合、その支払いを軍役でもって返還すればいいという意味だ。
 アメリカではすでにそうした所得階層が低く、奨学金を得なければ大学に進学できない高校生をターゲットにして軍がリクルートをかけている。
 選択枝のない彼らは喜んでといわないまでも、覚悟をきめて入隊する。
 結果、安い給料、PTSD、学費には足らず借金が残り、退役しても社会の底辺からははい上がれず、最悪ホームレスという生活が待っている。
 まるで悪夢のようなストーリーだ。

 

 この経済的徴兵制という言葉をはじめて日本に伝えたのが「貧困大国アメリカ」の著者たる堤未果氏だ。
 私自身は不勉強のためつい最近知ったことだが、08年の著作なので、すでに概念としては日本にも定着している。
 
 ジャーナリズムに関するこの手の本は賞味期限は3年から5年なんじゃないかと思っているので、すでに古いとも思ったが、とりあえず読むことに。


 内容はいやいや、これが事実なら本当にアメリカって国は、もう。。
 としか言えない感じだ。 ルポなので事実、取材のパッチワークが続き、ことさらまとめ、解釈のようなものは薄い。


 つまり具体例がほとんどで、読んでいるとちょっとあっけにとられるくらいのひどい貧困のオンパレードだ。


 いわく、第40代大統領のレーガン以降、効率重視の市場主義を基盤にした政策が次々に打ち出され、アメリカの路線が大きく変わった。
 それまではかつての日本がそうだったように一億総中流を目指すニクソンの政策により中流階級がうまれた。

 冷戦下では、国民すべての階級が中流になることこそ、旧ソ連に対する優位のアピールでもあった。


 だが、企業と高額所得者から高い税金を徴収し、教育、医療、福祉制度に再配分するという政策は、不況によるインフレを招いた。
 そしてそれを打開するために、真打ち悪名高い(ともう言ってしまおう)新自由主義が登場した。
 
 政府はトッププライオリティに大企業の競争力を高めるための規制緩和をばんばん行い、社会保障を削減した。

 その結果、弱者はますます弱者に中流階級が下層に転落し、二度とはい上がれない社会構造になった。
 中でも学校、医療、安全が効率を利益を重視する競争社会に投げ込まれ、そこではたらく教師、医師、そしてサービスを享受できていた子供、学生、患者、被災者が次々に貧困に落ちていく。
 彼らは切り捨てられ、人間としての最低限のラインである生存権さえ奪われた生活を余儀なくされている。
 という、内容だ。

 ほんとうに、気合いを入れないと読み続けることができない内容だ。
教育、医療、安全を民営化し、国家として国民を救わないスタンスを国家解体プロジェクト、というような表現を使っているのだが、疑問はいったい誰が望んでこんなことをしているのか、ということだ。


 実はこの著作ではそのことに触れていない。
 一部のスーパーリッチ(超金持ち)がしていることなのか、一部の政治家がしていることなのか、企業複合体がしていることなのか、無知の市民にこそ責任があるのか、それともその全部なのか。
 誰もが望んでいない状況に飲み込まれてしまったのはなぜなのか。
 市場原理は一度はじまると、自走するシステムなのか。
 そのあたりが、正直わからなかったのだ。
 
 ただ、思ったのは教育も医療も安全(警察・レスキュー隊)も国家という制度が行っていた歴史は浅いということだ。
 なぜ国家ができて、その国家が教育、医療(日本では皆保険制度)、安全保障を担当するようになったのか。
 考えてみればわかることであり、この著作の中でも言われていることだが、教育は機会の平等、保険制度と安全保障はリスクに対する社会のセーフィティネットだ。

 これを税金による所得の再配分でまかなわなくなったとき、利益(成績が出せない)のでない学校は廃止、教師は解雇、生徒は放逐になり、社会復帰できそうにない患者、支払い能力のない人間は病院に行けず、天災で崩れた貧困地域は再興する意味がないから(市場的に意味がないから)放棄すればいい、ということになる。
 実際これが10年前のアメリカで起きていたことだが、おそらく状況はもっと悪くなっているだろう。
 
 なんだろう。
 私はこの本を読んでいて、アメリカという国の得体のしれない冷たさに驚愕した。
 弱者を切り捨てるために次々に社会保障や制度を廃止し、貧困ラインの学生や世界中の低所得者をハントして軍役に従事させる。そして使い捨てのようにして、用が済んだら捨てる。
 あまりにも残虐であいた口がふさがらないのだ。
 
 ハリケーンカトリーナの襲来では避難せよと支持があったが、避難したくてもできない住民があまりに多かったことがあとからわかった。車も持てず、公共バスにもかぎりがある。そんな中で身動きのとれない人々に「避難せよ」の勧告だけで終わらせてしまう行政というのは、どんなものなのだろう。
 読んでいて一つ一つの具体例に胸が痛むどころか、驚愕することしかできないのだ。
 まるで、現代アメリカは絶対王政末期のフランスのようだ。 
 パンがなかったら、クッキーでもいいじゃないの、あの世界。

 これを読んでいる間、そもそも国家という起源、国が国民を守るという世界史の歴史が浅い以上、国家が解体されることもなくはない、と思った。
 だが、様々な問題があるにしても、国家という単位、国が税金で教育、命、生活の最低限のラインを保障するというスタンスは歴史に対する反省から生まれたものなんじゃないのだろうか。
 おそらく、アメリカにはその歴史が浅く、移民の国家であることから自己責任、自衛の哲学は根本にあるのだろう。
 だけど、今の状況が国民の多くが望んでいない以上、変わらなければならないのだろう。
 日本もまた、このまま行けばアメリカのように弱肉強食、追いつめられたら人のことは考えられない。

 自分のことだけ、というような冷たい社会になってしまうのだろう。
 今もなりつつあるが、もっとだ。
 もっと、冷たい社会になる。

 そうならないためには、考え続けるしかない。
 国が私たちを食べようとしているのだから、こちらは逃げ切る術をみにつけなければならない。
 そんなふうに思うのだった。