12月11日(金)超癒しの先に!

 今週、奇妙なものに癒されるでしょう。
 そんな唐突かつ意味不明な占いのアドバイスが月曜日に振ってわいた。


 奇妙なものに癒される。
 癒しといえば、猫ぐらい。

 ときにおいしい食べ物、睡眠、それくらいしかないのにな。

 でも、恐怖の大魔王の降臨より、ずっといいやw
 うふふ

 

 などと、思っていたのだが週が後半に近づいた今日、癒しってなんだったのよ、と考えてみる。


 いやしね。。
 そんなすてきなこと、あったかな。
 ふむふむ、ああ、あったかも。

 

 ふいに、昨日みた映画を思い出す。

 黒沢清の映画「CURE」
 知らない方もいると思うが、1997年作で主演は役所広司
 
 癒しで、そうきたか。

 ベタだな、と思う方もいるでしょう方は、ここで読むのをストップ。
 明日の結論だけ読んでください。
 酒の席でコネタを披露できる話題です。
 癒しで殺人までいかなくても発狂する人はいる、というそういう話です。

 そして、癒しってなに?

 癒しが必要とされる状況ってなにって?

 そういうお話です。

 

 さて、映画の説明。
 ストーリーは単純。
 萩原聖人演じる殺人の伝道師が、自ら手を下さず次々に他人に殺人の暗示をかけて人殺しをしていく。
 その事件を刑事である役所が追っていく。

 萩原聖人演じる間宮(まみや)は、出会った人々に「あんたの話きかせてよ」と言う。
 人々は、萩原に自分語りをはじめ、そしてその課程で間宮は催眠をかけて人々に殺意を生じさせる、そして人々は「結論」として殺人をおかしてしまう。

 事件の被害者はすべてに喉元を大きくXと切り刻まれ、死亡している。殺人を犯した犯人はことごとくみつかるが、彼らは自分がなぜそんなことをしたのか「覚えていない」。


 当初、あきらかに同一の背景を持ったこの事件が難航したのも殺人を促した間宮の存在が人々の間で忘れられるよう暗示にかけられていたからだ。

 そう、まるで殺意が自らの意志であったかのように。
 遺体につけられた大きな罰印、そして動機を思い出せない加害者たち。
 事件は難航した。
 だが、自分自身も記憶喪失(に見える)間宮が、警察につかまり、病院に措置入院させられ、その周囲、警察官、医師をつぎつぎに死亡し、あっという間にこいつ、怪しいぞ、ということになり間宮は収監される。

 役所広司が間宮の身元を洗うと、今はなつかしい精神医学の蔵書満載の洞穴のような部屋が見つかる。そこで間宮がなにをしていたかは詳しくは説明されないが、とにかく彼は「殺人を誘発する催眠術」を発見し、実行したということがわかる。

 この殺人の伝道師(注:伝道師という言葉は物語中で役所のパートナーで精神科医の佐久間のセリフで使われている)のストーリーがなぜ、CURE(治療)なんていうのか、はじめてこの映画をみたときはわからなかった。

 

 でも、今回十年ぶりに見直して「わかってしまった」


 それが今回のブログの落ちだ。落ちは次回だけど。。 
 まあ、くわしくは映画を見てください。
と、言うのが本当の両親なのだが、20年近くも前の映画を今更見てもね。
 というわけで、映画の説明ではなくて、今週の占いが当たった、という話をしようと思うわけです。

 奇妙な癒し、ありました。
 というか、発見したというか。 

 この映画で、黒沢清監督はやっぱりCURE(癒し)を描こうとしていたのだと思う。
 まあ、はじめからそう言ってたんだけど、この映画の皮肉というか奇妙なねじりは人々が癒された時にはそれが結果として殺人になる、という「逆転」を描いているからわからなかったのだ。

 ふつう、治療されるということは異常が正常に、不健康が健康に、不安定な精神が安定にもどる状態を言うと、思うし、またはそうであってほしい。
 だが、黒沢が描いているのは、普通に見える人間が実は誰もが異常であって、間宮と出会うことでその病に気づかされ、「正常」に戻る=殺人を犯すというフローだ。
 もっと簡単に言うと、すべての人間が抱えている闇を間宮の「あんたの話きかせてよ」という触媒で、殺人として可視化させる。
 中でも、刑事役の役所広司は殺人事件を追いながら、私生活では統合失調症に近い精神病の妻を自宅で介護している。

事件、そして理解できない妻。

 彼の癒しはどこにもない。
 だが、異常な事件の先にいた間宮と出会い、はじめて彼はその胸の内をぶつける。
 役所は口汚い言葉で妻をののしり、だがそうするしかなかったのだと自分に言い聞かせる。
 この課程で間宮は終始おだやかな声で、患者を癒すように合いの手を入れる。
 刑事役の役所のこのシーンでの激昂ぶりは、それまで妻に献身的につくしていた夫の行動ばかり見せられていた観客にしてみれば、「ああ、やっぱり嫌になるよな、あんな奥さんじゃ」という共感と同情を激しく起こさせる。
 しかし、しばらくすると「そこまで言っちゃうのか、それってどうなんだ」というラインにぎりぎり行く。
 いや、越えかけている。

 たしかに役所広司のおかれている状況は誰もが同情を寄せる要素がある。
 だが、間宮に促されて心の吐露をしすぎた瞬間、それは同情から嫌悪、見たくないものに変わってしまうのだ。
 

 この物語ではもっとも外見的には普通にまじめに見える役所広司がもっとも不安定で内なる葛藤を押さえ込んでいる。

 この映画で描かれていることは、人が誰でもたたけば他人と世間に対して憎悪を持っており、それを必死に押し込めている。
 それを間宮は「あんたの話聞かせてよ」で解放し、彼らは間宮に話をすることで、「癒され」、殺人に向かう。

 要するに「CURE」は人間には誰しも押し込めた他者と世界に対する憎悪があり、それを解放する「治療法」を間宮が発見し、間宮はそれを言葉で実践するというファンタジー映画ということだ。

 この話にリアリティがないなと、昔は思った。
 だが、今はすごくこの話がわかるのだ。

 間宮は最終的に人に殺人を犯させるのだが、それはその人が何者かわかったからそうせざるを得ないというグロテスクな哲学をこの映画が持っているからだ。

 だが、最終的にはそうであっても映画中、萩原聖人演じる間宮の言葉はひどく落ち着いており、奇妙に癒される。
 聞いていると、そうだよな。
 なんか、どうでもよくなっちゃったよな。
 がんばること、ないよな。

 そういう、安心と自己放棄にも似た感覚。
 萩原聖人ラブとか、そういうことではなくて、不思議な安堵感があるのだ。
 それはまさにカウンセラーの声質だ。
 
 そう、この声。なつかしいようなこの声。
 私は聞いたことがある、と思ったのだ。
 どこで聞いたのだろう。
 この優しい音色。
 うん、これは、そうだ。あれだ。

 そこで私は思い出した。
 私は以前にもこの声に似た話法を聞いたことがあったのだった。
 わすれるはずもないが、忘れていた。
 なぜなら、私がその声を恐いと思ったからだ。

 こういう声でああいう言葉を言われたらどうなってしまうかわからなかったからだ。
  
 で、ここかがら結論なんですけど、これから出勤、仕事のあとは忘年会なので、つづきはまじで明日になりそうです。

この話、ながいんですよ(←最悪)
先走るとですね、除霊・浄霊のときの陰陽師の声は映画「CURE」の殺人伝道師・萩原聖人と同じ雰囲気という話なんですが。

土曜日か日曜に書いた精神病と憑依の話にもつながってくる奴です。
後日談を入れると除霊師に対する呪詛まで言っちゃうのですが、まあまあそれは別段で。

とにかく、奇妙な癒しはやっぱりホラーという落ちで明日も会いましょう。
では