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12月7日(月)伊藤計劃の贈り物

  つい他人と比べてしまうことがある。

  この文章、この発想をしたときにこの作者は33歳だったのだな、と。
 比較しても仕方のないことだが、自分の稚拙なそれを見たときにぐっとくる。
 ああ、自分は今までなにをやっていたんだろう。
 後悔と焦燥が押し寄せてくるが、そのとき自分は発展の途上にいて(と思いたい)回り道をしていた、もしくは迷子になっていたのだから仕方がないと言い聞かせる。
 その作者の文章を舐めるように読み返し、すべての著作を買い揃えて読んでみる。それでも、ああもうこの作者は死んでしまっているのだな、とやるせないような思いがする。


 伊藤計劃のことだ。


 数年前、あれは伊藤が死んだときなのだろうか。
 日本SF会は伊藤を持ち上げており、業界には「伊藤計劃以後」というフレーズが生まれた。

   そしてその残り火は今も続いている。
 日本のSFを追っていなかった私はその言葉の意味するところはわからなかったし、少なからず反発も覚えた。
 それが、今になってよくわかる。3年くらいかかって。
 伊藤計劃のなにがすごいのかは、そんなことは今更いうまでもないし、わからない人はわからなくてもいい。
 ただ、なんというか彼が若くして死んでしまったことを思うと、本当に悔しいという思いがする。
 もっともっと作品を見てみたかった。
 正直にそう思う。嫉妬もあるけれど、それを越えて、この世界に必要な人だったと思う。
 なぜ、病気だったのか。
 なぜ、もういないのか。
 なぜ、なぜなぜ。
 もっともっと生きたかっただろうに。
 ひたすら、そう思う。
 しかし、もう彼はいない。
 
 彼の闘病記に抗ガン剤注射によって細胞が死んでいき、血管をさす場所が日に日に無くなっていくという描写がある。
 切なくて恐ろしくて悲しい言葉の羅列だ。
 例によって伊藤は淡々とした筆致でそれをつづっていくのだが、読むこちらが真綿で首を占められるような危機感が起こる。
 
 私は、恥ずかしくなった。
 死を前にした人間を見て、やっと自分の生の有限さに気がつくこと。
 死は平等にやってくるかもしれないが、その時期は理不尽であるということ。
 命は必要なところに必要な長さを配分されるないこと。
 人が病気で死ぬ理由。
 そもそも死ぬ理由をいつまでも考えてしまうこと。
 そして、それには答えが出ないこと。

 そう、もう彼はいない。
 そして、いないという事実が、私にとても恥ずかしい決心をさせる。

 もうちょっとがんばってみようと。


 おそらく、私のようにインフルエンザ伊藤型、もしくは伊藤はしかにかかった作家志望は少なくない。
 伊藤のすごさと真摯さに感染してしまう。

 おそらく、伊藤が今も生きていればこんな風に思うことはなかっただろう。
 伊藤計劃には、すでに死んでいるというバイアスがかかり、業界は半分はその「伝説」を後押し、利用したのだろう。
 だが、そんなことはどうでもいい。

 私は伊藤の言葉に感染し、もし彼が生きていたらだろう発想と物語を想像してしまう。
 それは意味のないことだが、そうしたくなる、そうせざるを得ない何かを伊藤はこの世に残して旅だった。

 遅効性伊藤ウイルス。

 まさに、パッケージされた作品が持つ時を越え、人の心に作用する魔法。
 伊藤が死んでも、言葉が彼の心を魂を伝える。
 
 いわく、師を見るな。師の見ているものを見よ。

 風姿花伝の言葉だ。
 
 形ではなく、その思想をみよ、という意味だ。

 しばらくは、このウイルスが鎮静化するまで、伊藤の作品の「形」を見てしまうことだろう。
 だが、それは少しずつ純化し、やがて伊藤の見ていたものに近づいていく。そうなったとき、彼が私の中で生まれる。

 そして、彼が生きはじめる。

 そうすることが、彼に対して私ができること。
 この世界に対して、できることだ。

 そんなことを考え始めたのも、私が33歳になり、このまま結婚もせず、子供も生まず、なにも残せずに死んでいく。そんな恐怖にとらわれる年齢にさしかかってきたからだ。
 
 ふいに生きていてもなにも意味がないのではないか。
 誰も救うことはできないし、もうほとほと嫌になった。
 そう思うことが多い。
 それ以上に、それを忘れる時間が多いのだが、年齢的なもの、枯れ葉散りきるこの季節だからこそ、自分が生きている意味、生きなくてはならない意味を考えてしまう。
 そんなときに、彼の言葉の群がすっと私の心に入ってきた。

 単純に彼はこう言う。
 
 もっと生きたい。20年も30年も生きたい、と。
 
 そうだ。
 何かを成し遂げることなどしなくていい。
 そんな優秀にはできていない。
 そういうことはほかの人にまかせればいい。

 私は愚直に生きよう。
 そうすることしかできないから。
 もう自分の無力は十分アピールした。
 だけど、ただ一点。
 ものごとを真剣に考えるということだけは、肝に命じよう。

 それしかやらない。
 それ以外のことは、申し訳ないけれどきっとできないから。
 でも真剣に考えて言葉をつむぐことだけはがんばろう。

 人はできることをすればいい。
 そしてできない。

 人にはきっと役割がある。
 それを、ただ愚直に実践しよう。
 生きているうちに。