12月6日(日)相棒の構造

 相棒がすきだ。

 いや、あの相棒じゃなくて、あらゆる物語で相棒(バディ)ものが好きなのだ。
 いま、構想中のどの物語でもサブテーマをさぐると相棒になる。


 相棒は二人の間に異質な世界観と価値観が横たわっているが、しかし彼らは協力しあわなければ、二人の共通目的である「事件」を解決できない。

 二人がぶつかりあう理由は、互いの性格にもよるが、それよりも彼らのバックボーンにある。

 彼らが目にしてきた世界(=価値観)が違いすぎるのだ。

 だから、もし事件を解決する難題をクリアするというような共通目的がなければ、互いが大嫌いだったはずだし、そこまで行かないにしろ無視していただろう二人だ。

 すれ違いさえしなかったかもしれない。
 だが、事件が二人を協力させる。


 という、フレームは世の中にごまんとある。

 つきつめると、異文化交流、そして理解。

 友情、恋愛に発展しかねないこの構造が好きだ。
 だが、その異質な世界を構築するというのが、難しい。

 

 さて、相棒という人間関係というか構造を考えるとき、私はバックボーン、A世界とB世界からやってきて異質な世界同士、境界線に立つ二人という構造が浮かんでしまうのだが、同じ世界に住んでいても事件へのアプローチの仕方が極端に違っていたら、それは相棒になりうる。
 つまり、相棒とは二人がただ単に組むというのではなくて、その二人が極端すぎて、互いが互いを支え合わないと機能しない、そういう関係性のこともであるのだ。


 って、簡単なことをめっちゃ小難しく言ってしまった。


 なにが言いたいかというと、異質な世界がぶつかり合ったときの、反応、ぶつかりあい、そして楽観的な流れとしての、互いを許容する、という成長・変化のプロセスをキャラクターに反映させやすいということだ。
 これはバディものの作品を通しても思ったことで、同時に自分の仕事から肌で実感したことでもある。
 誰でもバディになれるわけではなくて、そこにはバディを必要としてしまうキャラクター性、別名欠点がその人物にはあるということだ。
 ある人物に放置できないほどの欠点があるせいで、片方がそれをフォローせざるをえない。そうすることで互いの隙ができて、またそれが刺激になって互いの異質さが浮かび上がる。
 まあ、言ってみれば自分がそういうできないこまった子ちゃんで、先輩、上司、後輩と仕事をしていると必ず「いい相棒だな、おまえら」と半ばさげすみの目で組織から見られたことに由来するわけで、ちっともかっこいいことではないだが。


 現実としては、相棒なんてめっちゃまっぴらわけだが、フィクションにおいては最高の人間ドラマのスパイスになると思うのだ。


 まとめると人物補完機構=相棒という、そういう話。