12月6日(日)大事なことを大事にする

 仕事でもプライベートでも、小説を書くということでも同じ。
 どんな場面でも「いったい、これ誰がやるんだろう」と、思うことがある。
 それが、どんな作業や行為であれ、それをすることの目的、プロセス、結果が明確に見えていたら、それは自分が「できる」ことなのだろう。
 時にはゴールまでのプロセスが見えなくても、しなくてはならないことがある。
 だが、それはたいてい自分に与えられた義務や「シゴト」であり、労力を割けばできることだ。
 人や組織から与えられるシゴトはたいていそうした適材適所でしかない。


 だが、それとは別に世の中には、しなければならないことがごまんと存在し、放置され続けている。
 人はそんな事象からわざと目を背けている場合もある。
 本当に世の中や未来をかえる大事なことは一握りの聡明な勇気ある人しか気がつかないし、できるはずもない。
 そして、そういう人が未来を変えてきた。
 気がついてしまった人に勇気と覚悟があれば、その行為に手を付けはじめるかもしれない。

 それとも、夢中になって何かをしているうちにそのことに目覚めるかもしれない。
 結局、その行為に多くの人が気がつくのはいつだってすべてが終わってからだ。
 多くの人は気がつかないか、気がつかないように生きている。
 それが大きなことでも小さなことでも、気がついたなら、始めてしまったほうがいい。
 おそらく、それがタイミングなのだ。
 それまでは意識の底で眠っている形にならないアメーバのようなものが
時を経て、人生の様々な事象に触発されて、原生生物から複雑な細胞を持つ生き物に進化していく。それが未来のイメージだ。人はそれから意識的に目を背けることはできない。
 どれほど目を背けたとしても、自然発生的に生まれたそれはその人の中で日々膨らんでいく。男も女も関係ない。
 自分がそれを妊娠していることに気がついたら、もはや意識的に餌をやり水をやり、日光を当てるのが一番その人にとっていい。
 おそらく、めんどくさいだろう。
 だが、すでにそれはあなたと私の中で生まれており、日々大きくなっている。
 歪んだ生物になり、やがてあのエイリアンのように宿主の腹を食い破って外にでないように、きちんと子宮を通って生まれて出られるように、大事に育てなければならない。
 どんなに醜くて、もしくは美しいものでも、それはやはり面倒な存在だ。

 それでも、それは私そのものだ。
 そういうものから目を背けてはいけない。
 毎日時間を決めて、それと関わる。
 手を抜くと、そう、エイリアン行為をする。
 注意深く監視しているうちに、それは今度は自分を守ってくれるようになる。具体的には迷ったときの価値判断だ。
 大きな決断をするとき、そいつに伺いを立てれば間違わない。
 いや、そこまでそれの判断を信じてよいかは疑わしい。
 だが、どちらにしてもそこまできたら私とあなたはそれの言うことを聞くだろう。なぜなら、それはもう一人の私だからだ。
 それが間違っていても、正しくても、それを決めるのは私ではない。
 
 人生の小さなことから大きなこと、しなければならないこと、したいこと。
 すべてがこなせるわけではないから、優先順位をつける。
 では、その優先順位の基準はどうやって決めるのか。
 まだ、見たこともない妊娠中のそれを養育することの順番は?
 
 それは、必死に考えなければならない。
 そして、何が大事か決めなければならない。
 もちろん、人間の価値判断は独善的で自己中心的な部分もある。
 だが、すくなくとも今は、それを自分が選べる。
 やがて、選べなくなる時代がくる前に、必死でなにが大事か考えなくてはならない。
 もし、それをやめたら大事なことさえ選べないそんな状況になるかもしれないのだから。