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12月5日(土)ハーモニー(映画)の突き抜け感といい知れない若さ

 いつものことながら、私の行く回のシネコンはがらんとしている。

 その夜も私たちのほか客はカップルが一組だけだった。
 私が「この映画館よくつぶれないな」というと、幼なじみは「ちゃんと混むときもあるよ。じばにゃんの時とか」と、言って苦笑した。


 そうかもしれない。
 映画を見に来なくなって久しい。
 毎日、出勤前に化粧をしながらパソコンの画面で映画を見るのがノルマなのに、その上映画をわざわざ見に来るなんてとんでもない。
 映画は娯楽ではなくて、最低限消化していないといけない情報というか、創作の上でネタかぶりをしないための作法でしかない。
 娯楽なら、散歩をしたり、知らない町のカフェでのんびり読書するほうがずっといい。

 

 そういうわけで、ハーモニー。
 そもそも見に行く気がなかったのだけど、Twitterで誰かが観るとか見ないとか言っているうちに、行きたくなった。

 原作は伊藤さん。

 虐殺器官メタルギアだけは読んでいたけれど、すっかりファンでありながら、ハーモニーのhtml仕様になじめず、原作は挫折していた。
 原作をクリアできない場合、それをわかりやすくコンパクトにまとめた映像のほうがライトユーザーには向いている。

 映画版にゆがんだ演出や解釈がされていようと、そもそもオリジナルをクリアできなかったのだから、それで仕方ない。
 そう思いつつ映画に行った。


 幼なじみは一応映画ファンといっていい。

 SFも好きだというので、誘ってみた。

 まさか伊藤作品を全くのパンピーには見せられない。
 シアターのチケットを買う段階で、席ががら空きもとい、貸し切りであることに幼なじみ気がつく。


 地方都市の深夜のSFアニメなんてこんなものだろう、を地で行く見本。


 入る前から期待値が正常な振り幅に戻る感覚。


 映画は、深夜に見るには最高だった。

 音楽はほぼクラシック。

 序盤でキアンが血みどろになって自殺しなかったら、あのまま眠りこけていたかもしれない心地よさ。
 危険な映画だ。
 そして、セリフが多い。
 その既視感。

 また眠くなる。
 攻殻機動隊サイコパスのセリフ回しに慣れているなら、寝ていてもストーリーが追える世界観。
 だけど、隣に座っている自称マイルドヤンキーの幼なじみは大丈夫だろうか。
 きっと半分もわからないのではないか。
 はじめて攻殻を見た時の私のように。
 まさか、あの文法に慣れているとは思えない。

 で、感想。


 見終えてみて、よくできた物語だな、と思うとともによくできているが、結局言いたいことは何かと言えば、それは愛している、ゆがんだ意識のあるあなたを愛しているという倒錯した耽美愛というか。


 三十代を越えた私には、なんだか青臭い。

 気恥ずかしいそんな思いを抱かせるそんな作品になっていた。
 ハーモニーファンによると、ラストが遺憾だという意見もあるのだが、原作を知らないし、今後も読まない私には関係ないことで。
 そうすると、物語としては、SFというよりホラーというか。完全に主人公が世界に負けてしまったというか。

 負けるように伊藤計劃がしくんだというか。

 

 ドライブの帰り道。
 幼なじみの感想が秀逸だった。
「壮大な中2病患者の告白ってかんじだな」
 そうだろうな、と思う。
 私は、嫌いじゃない。
 映像として網膜に投影されるオルタナとか、うざいくらいのレコメンドとかね。
 まるで近未来にいるようで、それは楽しかった。ただ、それは物語としての楽しさではない。
 説明過多、理論武装のセリフ。
 壮大な陰謀とその首謀者。
 しかし、犯人をよくある性的虐待の倒錯者と言ってしまえばそれまでで。

 物語中で主人公が負けてしまうと、私はほっとする。
 ああ、飲み込まれたか。

 別名:安易に終わらせたか。

 そう思ってほっとする。

 まだ余地があると思うからだ。
 あの健康至上社会において、自殺する権利が唯一のテロという皮肉。
 そこまで至るまでに人類がどんな選択をして、どんなビジョンを大事にしていたのか。
 それこそが見たかった。
 ナノマシンにより、病気も老いもない社会。
 それを選ぶことで人はなにを捨てたのか。
 それは捨てるに値するものだったのか。

 生物としての人間。
 動物としての人間。
 ただ、愛する人とよりそって生きていきたい素朴な大勢の人。

 そういう卑近でみじかで地元で高卒でヤンキーな幼なじみに訴えるそんな物語こそ、私は見たいし書きたいと思う。

 ハーモニーを見終わったとき、一番に感じたのは伊藤計劃があまりに若くして亡くなったこと。

 あれは、青年が書いた物語だ。
 おっさんが書いた物語ではない。

 それとも、私がおばさんになっただけなのだろうか。
 そんな悲しい感動とともに、ハーモニーの夜が終わった。