12月5日(土)幽霊や呪いや憑依とただ単に精神病なんじゃないかと思う

 大学のゼミで(ということは、もう10年以上も前)にホラーとミステリを掛け合わせたような創作ゼミを受けていた。
 乱歩の小説研究と講師作のスプラッタ小説(フレイザー金枝篇みたいな話しだった気がする)を読み解くゼミだった。

 その席で怪談かホラーの話しになり、私は実体験を話した。


 話し終えたとたんその場が凍り付いたのを覚えている。
 まあ、一行で語ると母親が霊らしきものにとり付かれて発狂したという話だ。
 実際、今思うとこの話は幽霊が出現したとかそういう話ではなくて、明らかに精神疾患系のスレッドとして十分通じる、というかまともな人ならそっちの解釈をするだろう話だった。
 だから、周囲は反応に困って凍り付いたのだろう。


 フリーズしたこと事態が立派な反応だったが、当時の私にはそれがわからなかった。  ただ単にめんどくさい、霊体験として話しをしただけだった。
 私は母が精神病ではなかったと思うし、いまもそうではないと思っているのだが、当時の母はどう考えても精神的にも肉体的にも追いつめられていたのだろうな、と思うようになった。
 それがあることをきっかけに発狂という形で外にでたことは確かだ。
 上のことから幽霊ではないと否定したいところだが、そうも行かない理由が一つある。


 だがここで母にまつわる幽霊話の詳細は省く。

霊がいるとかいないとか、そういうことは、結局は信仰にも似て最終的には信じるか信じないか、偶然性にどこまで必然性を持って物事を認識するかにかかってくると思うからだ。


 ではなぜそんな話題を投げているかというと、私自身が幽霊の存在や憑依やなんやかやの存在があるんじゃないかとうっすらと思っているからで、同時にほとんどのことは精神疾患系の病もとい脳のモジュラー回線の不良で解決できちゃうんじゃないかとも思っている。
 要するにどっちつかずだし、自分は精神疾患に興味があるのか、幽霊に興味があるのか、そのどちらもなのか、どちらが自分にとってしっくりくるのかいまだに答えがでていないということだ。


 実際、宗教系、救い、新興宗教系の文献を読むと、自分の人生観に取り込むべき至極まともな理論がでてくるし、共感もする一方、いやいや、まじないないない。

 あんた、それって詐欺だよ。

 ビョーキだから、と一笑に付してしまいたくなる箇所も同じくらいある。


 宗教家の本は意識をすることとは無関係で信仰で片づけられてしまい、信じるからそうなんだという論法になり、もはやつっこみようがない。

 おかしいだろうと、指摘したところで本人は痛くもかゆくもないはずで、だから私はこの手の信仰をする人間はうらやましくもあり、それとおなじくらい強い嫌悪も持ってしまう。


 とはいえ、この手の本を手にとってしまうのは、どこかで天国や悪魔や幽霊を信じているからだろう。

 そして、同時に信じていない。

この手の玉石混淆の書物はそうした私のカオスな意識を再確認する営みそのものだ。

 そしてこの手の本がいまだに生存権を得ているのは人間の脳や意識、認識というものがいかに曖昧で、まだまだインナーユニバースとしての未知たりているのかの証左でもある。(と思う)

 

 私は幽霊という目に見えないエネルギー体の存在が善悪どちらのアクションをとったとしても、そういうものがいたらなんとなく楽しいと思う。

夢があるではないか。
同時に、それが脳の認識の課程でみせる幻覚や学術的に説明可能なものだ、と言われたほうがしっくりくる。

ここが私のひねくれた部分で自分が信じているのはいいが、人にファンタジーを押しつけられるとかちんとくるようだ。


 ともかく現在、数あるあまたの幽霊話や悪魔や天使の話も、脳の研究が進むうちに賞味期限切れ、すくなくとも今あるような形での怪談話は古くさくなってしまう、もしくはすでに素朴な幽霊譚などはすでに時代遅れのようなそんな気がしているのだ。

 

 さて、情報提供。
 精神疾患がみせるホラーとしては、ジョン・ナッシュを描いた「ビューティフル・マインド」が最高に怖くて悲しい。

 幽霊ではなく幻覚。現実に見える幻覚。

 これこそ白昼夢であり、「実在する」幽霊だろう。
 書くならこういうホラーだろうな。