イントロダクション


 これから、ウェブで日記を公開する。

 今年の夏からモーニングノートと称して朝A4一枚に思うところを考えなしに書き殴るということをしてきた。

 それはセラピーを目的としたものだ。

 とりあえず、思い悩むことがあれば、書き出して意識化してみよう。

 さすれば、たいしたことではない。

 もとい、解決の手段が見つかるだろう、ということだった。


 毎朝起きがけのめちゃめちゃ頭がすっきりしている時間帯、通常の時間が3倍にも濃縮されたそんな時間帯。

 そんなゴールデンタイムに日記を書くなんて、まじでもったいないとおもいつつも3ヶ月やってみたら、自分というものが螺旋の思考をしていることに気がつく。

 好きなものは以前として好きであり、嫌いなものは嫌いである。
 欲望は一貫し、意識化すればするほど、読み直して追跡事項を追えば追うほど、いらいらしてくる。
 収穫逓減の法則というやつだ。

 はじめの3ヶ月は自分というベクトルを見直す上で効果があったが、それをすぎるとできていないことが目について、うだうだしている暇、つまり日記を書く暇があったら、アクションせよ、という意識に変化していった。


 モーニングノートが手書きというもの効果があったのかもしれない。

 手書き


 身体感覚が半端ないが、思考に筆が追いつかない。

 よけいなことを省くという意味で、ものを書く上での基礎訓練にはいいのかもしれない。

 パソ打ちだと思考と文字化が同時並行だ。

 だが、手書きは思考から文字化の課程でタイムラグが生じて、意外に文章がまとまらなかったりする。

 ただ、その考えていることと書いていることの間の埋められない時間差が、無意識に働きかけをしている、そんな感じがあった。
 パソ打ちで次から次へと繰り出される言葉は意識に近いが、手書きだと意識に追いつかない部分、つまり無意識が手先から立ち上ってくる感じがしたものだ。
 これが、セラピーの効果であり目的だったのかもしれない。
 それで、もうその時期はすぎたというのが今の実感だ。


 モーニングノートは自分のためにすることであり、目的は癒し、書くことへの恐怖をなくすこと。そして何をなすべきか意識化すること。
 パソ打ちで考えていることを言葉にし、かつ公開するということは、コミュニケーションを目的をしている、部分が大きくなる。
 今は、それができる気がする。
 他者とのコミュニケーションは、セラピーが完了していないとうまくいかないことを考えれば当然の成り行きかもしれない。


 というわけで、ブログ化することに。
 書いてみてわかるが、やっぱり日記は公開目的でも癒しになるなと思う。

 なぜだろう。

 書いていると、安心する。
 自分で自分をコントロールできている幻想に浸れるからだろう。