4月15日(土)感慨がないことが感慨深い 1/3(映画トレインスポッティングの続編)

 

 

 パルコ20周年のポスターで、自分が15歳から20年も年をとったことに衝撃を受けた私は、気を取り直すために花束を買うことにした。

 

 しかし、20時をすぎて花屋があいているだろうか、と思ったらなんと開いていた。

 間口が狭く、客と店主が店の前で立ち話をしたら、それで店内には他の客が入れなくなるような店だ。

 店内からはメランコリックな女性ヴォーカルの歌が大音量で流れ、

 人気のない路地裏に響ている。

 店先に恐る恐る近づくと、お世辞にもセンスが言いとはいえないブーケが並んでおり、とりあえずそれ以外の花束を作ってもらうおうと私は声を張り上げた。

 それなりに大きな声を出したつもりだったが、ウナギの寝床のような店内の奥でこちらに背を向けているエプロン姿にキャップをかぶり、黒縁のめがねのぽっちゃりなお兄ちゃんには聞こえていないようだ。

 彼はこちらに背をむけたまま、鼻歌でも歌うように体を揺らしながら、

 花束をつくっていた。

 私がもう一度、声を張り上げると、彼はあわてて私のところまで走ってきた。

「あのー!、1000円くらいで、適当に花束つくってほしいですけど!」

 私が音楽に負けじと大声で説明すると、お兄ちゃんはあわてて私の隣の壁にかかっていたスピーカーのボリュームをつまんだ。

 いっきに女性ヴォーカルがBGMと化し、私たちは普通の声でしゃべることができた。

 私はお兄ちゃんになんでもいいので適当に花束を作ってくれるように指示した。

 お兄ちゃんはつぼみのチューリップとカラーと言われる水芭蕉に似た花のほかに、ブルースターをあしらってくれた。

 なかなかかわいい取り合わせだった。

 それなりにいい感じの花束を作れるのに、なぜか店頭においてあるブーケはセンスがいまいちだった。

 まあ、いい。

 しかし、私は彼が今、あしらっているブルースターにはイヤな思い出があった。

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(お花屋さんの彼がつくってくれたブルスターの花束から 花弁は青と紫)

 

 

 思い出と言っても一ヶ月前のことだが、この店とは違う花屋で買ったブルースターが三日もしないうちに枯れてしまったのだ。

 いままでこんなに生命力の弱い花に遭遇したことがなかったので、

 かなり落ち込んで、私は二度とブルースターは買わないと誓ったのだ。

 おそらく、ブルスターはかわいいが、生命力が極端に弱くてすぐに枯れてしまうひ弱ちゃんなのだろう。

 しかし、目の前のお兄ちゃんはそのブルースターをしこたま花束に盛っている。

 私は、意を決してお兄ちゃんに囁いた。

「あのお、その花前に買ったときにすぐ枯れちゃったんですけど」

 お兄ちゃんは私を見ると、手元にあったブルースターを取り上げた。

「ああ、それはこの花は水上げが悪いからです。切り口を見てください」

 お兄ちゃんは、花の根本をはさみで切った。すると、切り口から白い液体がにじんできた。

 まるでミルクのような真っ白な液体だ。

 

 

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4月15日(土)15歳の自分との邂逅 2/2(宇都宮パルコ20周年の衝撃と35歳の自分)

 承前 → 4月15日(土)15歳の自分との邂逅 1/2(宇都宮のカフェ難民事情)

 

 

 当時、パルコはまるでおとぎの国のようにきらきら輝いていた。

 いや、パルコに神限らず、宇都宮自体、いや、日本全体がまだバブルの残り香に酔っていた時代だった。。

 

 なんてかくとマジでおやじ臭いのだが、本当に15歳当時、私はパルコに行くのが楽しくてしかたがなかった。

 当時は、学校帰りに塾で勉強三昧だった。

 おなかがすくとパルコの地下のお弁当やさんに三食そぼろ弁当買いに行ったものだ。

 地下にはマリオンクレープやアクセサリー屋がひしめいてて、ほしいものばかりだった。

 

 ふいに、20年前のパルコが脳裏を走馬燈のように駆けめぐって、我を忘れた。

 現実に引き戻されたのは、手に持っていた読みかけの密教の本が足下に落ちたからだった。

 はっと我に返り、私は落ちた本に手をのばした。

 しかし、延ばしかけた手が止まった。

 

 密教

 いったい、あれから20年。

 なんで私は35歳になるこの年に密教などしんき臭い本を読んでいるのだ?

 坊さんになるわけでもあるまいし。

 よりによって、密教

 ばかじゃねえの?

 

 もう一度、ガラスの向こうに目を向けた。

 ポスターの中で「祝 宇都宮パルコ20周年」の文字が不動のインパクトを誇っている。

 それぞれ、ジャズバー、カクテルバー、餃子屋ののれん前、焼きそば屋のおばちゃんとおいちゃんが背景だ。ぱっとみただけで、パルコと宇都宮市のコラボ作品だとわかる。

 

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 あの、パルコが。 

 そう、あのミーハーできらきらしたパルコが行政と。

 私の頭の中は再びカオスになった。

 それで、私は密教を?

 密教って、私の人生に意味ある?

 

 私は本を取り上げ、目を閉じた。

 20年は確実に経過していた。

 していたのだが、いったい私はその間なにを成し遂げただろう。

 高校受験をして、

 大学受験をして、

 遊んで、旅をして、本を読んで、

 行政マンになって、

 税務とか道路とか公園とか、

 景観とか街づくりとか、

 秘書とか、教育とか。

 

 ああ。

 

 目をあけると、ガラスの向こう側に中学の制服を来た生意気そうな少女が立っていた。

 紺のブレザーにグレーのプリーツミニ。

 白いハイソックス。

 怖いもの知らずの、世界は無限だと思っており、自分は何者にでもなれると思っている小生意気で情熱的な15歳の自分。

 

 私は彼女に、今の現状を説得できるだけの気力があるだろうか。

 私は目を閉じて、深呼吸をした。

 説得する気力はある。

 あるけれど、彼女は絶対に納得しないだろう。

 きっと大喧嘩になるだろう。

 

 あんた、なんで役人なんかやってんの? と、彼女は言うだろう。

 いや、これには大人の事情が、、と私はとりあえず言う。

 

 その先は、きっと長い会話になるだろう。いや、殴りありになるだろう。

 私は15歳の自分との会話のシュミレートをそうそうに切り上げると、

 そそくさとスタバを出た。

 

 父との待ち合わせにはあと1時間はある。

 花束でも買って帰ろうと思った。

 20年前の自分との邂逅の記念に。

 4月の夜はまだ肌寒くて、私は暗いシャッター通りをとぼとぼと歩きだした。

4月15日(土)15歳の自分との邂逅 1/2(宇都宮のカフェ難民事情)

 宇都宮パルコの一階にはスタバが入っている。

 読書をして長居をしても居心地が悪くないカフェ、もしくは喫茶店というものが宇都宮には少ない。

 カフェでまったりするよりも、家でまったりすることが好きになってからは、カフェは読みづらい本を一気読みする場所になっている。

 しかし、宇都宮にはこの「勉強しっちゃっていいっすかね」的なコンセプトのカフェが少ない。

 宇都宮のチェーン店以外のオリジナルカフェと言えば、もっぱら空間と料理を心底楽しむことを目的としているので、たとえば会社や学校の帰り道に勉強しちゃうよ的なカフェが極端に少なく、あっても常にそうした場所は満席で、がやがやしており、宇都宮において、人は容易にカフェ難民となる。

 宇都宮でカフェで落ち着いて読書をすることはきわめて困難で、こんなことに困難だという窮地にたたされることには腹が立つより、めんどうさが先立つ。

 (余談だが、宇都宮では本屋に併設する形でカフェを作っても、どうやら勉強のために利用する人々が少なく、作ってもすぐに撤退することがあった。こういった下地が宇都宮にあるため、カフェが根付かないのかもしれない)

 

 そういうわけで、カフェにも行かなくなった私だが、最近父の送別会のために、宇都宮に市内で待ちぼうけをすることになり、その間カフェ難民となることが予想された。 なので、普段は足を踏み入れないパルコのスタバに直行した。

 そこで、3時間ほど読書をできればいいと思ったのだ。

 

 パルコのスタバは思いほのかガラガラだったが、店内全席が長時間の読書には不向きなつくりだった。

 窓ガラスに対面した席は寒いし、テーブルが狭くて息がつまるし、壁際のソファ席は読書しながらメモをとるにはリラックスしすぎな上に、テーブルは極小サイズで本は置きづらい。

 かと言って中央のテーブル席は背後と左右の席が近すぎる。

 それゆえ、「密教のすべて」とか「仏教」とか怪しげな本を読むには勇気がいる。

そういうわけで、カフェは見つけたものの、今度はいい席がないということで席難民となった。

 

 まあ、たぶん私がわがままなのだろう。

 そこはあきらめて、しかたなく窓際のソファ席にうずたかく密教関連の本を積み上げて速読することになった。

 読書を始めると本当に時間が経つのが早く、あっという間に2時間が経過した。

 さすがに疲れて、ふと目をあげると、店と外を隔てるガラスの向こうの壁に二枚のポスターが貼ってあるのが目にはいった。

 ぱっと見て、タワーレコードの宣伝かと思った。

 素人がわんさか写っているような雰囲気がタワレコぽかったからだ。

 だが、よく見るとそこには「はっきりと宇都宮パルコ20周年」とあった。

 

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(↑ これ パルコの入り口に貼ってあります)

 

 20周年という数字に唖然とした。

 あと少しで目をこすって、マスカラを落とすところだった。

 

 しかし、間違いではない。

 20周年……

 

 たしかに宇都宮にパルコができてから、それぐらいは経っている。

 なぜなら、20年前の1997年当時、私は中学3年生の15歳であり、毎日のように出来立てほたほやのパルコに日参していたからだ。

 

 続き → 

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4月1日(土)第8回 恋はよいもの、はかないもの(男ともだちは、男ともだち)

恋愛コラム:恋はよいもの、はかないもの

      男ともだちは、男ともだち

 

 好きになれたら、よかったのに。

 と、別に後悔していないのだが、なぜ好きになれないのか、素朴に思う関係は多々ある。

 

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 (↑ あの頃の寒空によくにた海沿いの道)

 

 高校最後の年、つまり受験生のとき、私は第一志望に不合格となり、まだ卒業まで登校日が何日か残っていたにも関わらず、学校に行く気にならなかった。

 しかし家にもいたくなかった私は、同じようにまだ受験の結果が出ておらず、常日頃から高校に通っていないある男ともだちの家に行くことにした。

 行くと言うより、転がりこんだ。

 

 今でも思うが、彼とはあの頃いつも一緒にいた。

 学校をさぼって自転車の二人乗りをして、近所をうろついたり、塾で一緒に勉強をしたり、よく周囲からは「つきあってるの?」と言われたが、心底そういう気持ちはなかった。

 私は別の男の子に恋をしていた。

 おそらく、彼もそうだったと思う。

 私たちは一緒にいたけれど、それは居心地がいいと思う反面、ときめきがまったくなかった。

 私たちはよく似ていたのかもしれない。

 彼は寺の息子だった。

 朝に弱く、頭がよくてやさしくてのんびりしていて、学校は単位ぎりぎりで、そのくせ成績はトップクラスで、医学部を目指していた。

 私はその日、第一志望の不合格を知らされて、もう学校に行く気もおきず、彼に電話をすると、彼は眠そうな声で「いいよ」とだけ言った。

 寺の本堂に入ると、彼は少し遅れて、お茶を持ってきてくれた。

 起きたばかりらしく、眠そうだった。

 それから、少しはなしをした。

 携帯に友達から電話があった。

 その日は、卒業式の予行練習だった。

 担任が心配している、という内容で、私は高校のすぐ近くにある彼の家にいるとだけメールを返した。

 そのとき、私は目標をなくして、将来もまっくらで、ひたすら暗い気持ちだった。 

 彼はそのとき、なんにか言ってくれたのだろうか。

 ぜんぜん覚えていない。

 覚えていないけれど、いつものように私を外に連れ出してくれて、その日は夜まで一緒にいてくれた。

 大学を卒業してからもたまに会うことがあった。

 今でも、彼となぜ恋愛にならなかったのだろう、とときどき、思う。 

 なぜ思うかというと、彼とは恋愛は無理でも、夫婦としてならつきあえたかもと思うからだ。

 私たちはじめから枯れきった夫婦のような関係で、ときめきも未知の楽しさもなく、落ち着きだけがあった。

 もちろん、はじめから落ち着いていたのでは、夫婦どころか恋人にもなれないかもしれないのだが。

 

 二人でいるとき、彼はよく立っているのもおっくうと言った調子で私の肩にひじを乗せていた。

 私はよくその重さによろめいた。

 今でも思い出すのは、彼の自転車に乗せてもらったときの風の冷たさと、彼の背中の暖かさだ。

 あのつらいとき、私は異性に自然に甘えることができて、また甘えられる男ともだちがいたのだと思うと、本当に私の十代は幸せだったのだな、と思う。

 いまは毎日が、ひとりで、昔のことや今のことを静かに考えているばかりだ。

4月1日(土)第7回 恋はよいもの、はかないもの(20代最後の恋)

4月1日(土)第7回 恋はよいもの、はかないもの

 恋愛コラム:20代最後の恋

 

 幸せにしてあげたかった人がいる。

 でも、もう思い出の中の人でしかない。

 そういう、人がいた。

 

 雨が強く、台風が近づいている7月のことだった。

 その日、私は彼を駅に送っていくために車を駅のロータリーに駐車していた。

 彼は東京の人で、一ヶ月に二回ほどしか会えなかった。

 彼の不定期の休みのたびに私は休暇をとり、彼は一泊をして帰って行く。

 夕方に来て、次の日の夕方には東京に戻る。

 

 その日は、駅につくとすでに風が強くなっており、雨足が強くなっていた。

 彼が車を出て行く数分前だったと思う。

 父から連絡があった。

 台風がくるから気をつけろよ、という電話だった。

 父との電話を一言、二言、返事をして切ると、彼が不思議そうに私を見ていた。

 内容を言うと、さらに不思議そうな顔をして言った。

父親ってそういうことで、心配するんだね」

 今度は私がきょとんとする番だった。

 今思えば、彼とは境遇が違いすぎた。

 それもまた、彼と私が別れる原因だったのかもしれない。

 彼は中学卒業と同時に実家を出奔した。

 それは父親からの虐待に近い扱いを受け、家にはいられないと思ったかららしい。

 彼の言葉の端々に父親に対する憎しみと悲しみが満ちていた。

 このとき、私の父親が娘を台風ごときで心配して電話をするものなのか、と思ったらしい。

 私にとっては当たり前のことだが、彼にとっては驚くべきことだった。

 彼の家族の愛を知らないけれど、世間に出て、親代わりの人々に成長を助けられた、その境遇が私には生きる力にあふれ、まぶしくて、尊敬できた。

 そんな彼についていきたいと思った。

 できることなら、彼を守ってあげたかった。

 けれど、私には力がなく、彼にも力がなかった。

 私たちは二人で生きる力がなかった。

 

 今でも、どこかで彼は元気に仕事を続けているのだろうと思う。

 ときどき、雨が降ると雨粒でにじむ風景をみるたび、彼が車のドアを出て行く姿を思い出す。

 寂しくて、たくましくて、大好きだった彼。

 幸せにしたかった彼。

 でも、もう思い出の中にしかいない彼。

 

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(20代後半の頃の私。今よりもきっつい顔。

 しかし、性格はいまのほうが、、(笑)

4月1日(土)職場の異常は中堅にとってBGM,新人にとっては事件

 

 昨夜は先輩の送別会で、係りの中だけの仲良しメンバーだけでバーに集まった。

 普段、職場のメンバーと飲むとなれば、20人ぐらいであるし、かといってグループ飲みをするほど仲がいい上司先輩がいないため、飲み会というといつも二人か三人飲みだ。

 昨日は、珍しいことに

 

昨年入った新人職員と、25年つとめた上司、先輩、そして6年、9年目の私の6人飲みだった。

 

 

 

 管理職抜きの若手だけで集まり、しかも私ともう1人の職員が6年目なので、組織のあれやこれがみえてきたり、もう体制批判のわりに、どうしていいかその処理方法が見えない、見えていても力学に手が出せないという年代で、飲んでいると基本いらいらしてくる。

 そんなときに、昨年入庁した、新人の26歳の後輩が、突如としてうちの課長(来年定年の愛されキャラ)のものまねをしだした。

 これが大受けだ。

 まさに内輪ネタでしかないのだが、うちの課長のシラフでも常に酔っぱらったようなクダをまくような、くどい展開のしゃべりを見事に演じきっていて、大笑いした。

 飲み会で場がしらけると、ふいに彼女のものまねを思い出して、思い出し笑いをして「気持ち悪!」と、言われたが、それほどこの課長のものまねはウケた。

 

 一般的に言ってものまねは、似ているだけでおもしろいのだが、そもそも、ものまねができる「特徴がその人にあった」という発見に感心させられる。

 その「似ている」と「あるある」が交差して、ウケになるのだが、彼女の課長ネタを見て思ったのは、どうしてこれほど特徴的なしゃべり方をしている課長をこれまで誰も「まね」しなかったのか、ということだ。

 これは、あきらかに新人と職場に慣れきった私のような中堅の目の付け所の違いだと思われる。

 課長のクドいしゃべりかたは、日々業務がマッハで進む事務所においては、私の中では聞き飽きたBGM以下になっており、実際、課長とはなすときも、「課長、まさかよっぱらてないでしょうね」とくどく、切れ味の悪い質問をされるたびに、メンツを傷つけないぎりぎりの先でつっこみをしておくか、ぐらいになっており、その傍目に異常な「しゃべり方」に知らぬ間になじんでいた。

 私の場合ほぼ、仕事の忙しさに忙殺される勢いでこの異常を放置しているわけだが、新人にとっては仕事の忙しさは表面的なもので、実際、どの程度の労力を払わなければならないのか理解している場合の「忙しさ」と、わからないけど、雰囲気的に「忙しい気がする」は、心理的に天と地ほどある。

 私のような中堅にとっては、業務過多の前に課長のしゃべりは相殺されるが、新人は逆にその課長のしゃべりの異常が目につく。目について仕方がない。

 これは、発見だった。

 私のような中堅には、知らぬ間に職場の異常さが当然になり、それが背景になってしまうということだ。

 これは、かなりおそろしいことだ。

 

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(↑ ザックス弟のボウを育てるの図 8年前、私が新人の頃の写真

   私もたくさんの先輩方にそだてられて、今うざい姉御になりました。。。)

 

 このケースの場合は、ただのお笑い話だが、新人の視点というのは組織の中では得難いものだと思わされた。

 課長のしゃべり方なんていうものは、笑いの種で終わるが、そのほかうちの組織でまかり通っている異常さがおそらく気がつかないだけで山ほどあるに違いない。

 これからは、新人の意見にもっと耳をかたむけて、笑いだけにかぎらず、貴重な意見を引き出すキーとして彼らを育てていかなければなあ、と思った次第だ。

4月1日(土)年をとる人間、とらないヒーロー:必殺仕置人(76)沖雅也

 

 

 めったに映画にもドラマにもはまらない私が、ここのところ熱に浮かされたようにドラマを見ている。

 しかも古い。

必殺仕置人」(76)。

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時代劇の中でもシリーズ化されたヒット作品で、恨みをもつ人々の仇討ちを「仕置き」として金で請け負う暗殺者が主人公。

 毎回、お上に隠れてこっそりと仕置きをするというストーリーだ。

 これがもう、今日あるような時代劇とは違って、ストーリーが適度に複雑で見応えがある。

 そしてなにより、俳優がすっごい。

 

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(仕置人たち 左から念仏の鉄:山崎務 棺桶の錠:沖雅也 同心・中村主水藤田まこと )

 

 昔の俳優ってほんとすごい。

 すごみがあるというか、演技がみんなうまくて引き込まれる。

 必殺仕置人では、主演は山崎努演じる、「念仏の鉄」なのだが、やばい!としか言いようのない色気を放っており、あまりのかっこよさに一瞬誰だかわからなかった。

 人間年をとると当然のことだが、恐ろしくもある。

 山崎勉は、私がリアルタイムでみたときは、すでに「おじいさん俳優」だった。

 しかし、今作では、山崎努は油の乗り切った超絶色気のある「悪人」坊主を演じており、まじで「抱かれたい」と思わせる主人公が絶品だ。

 

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(↑ 若すぎるアクに強い山崎努 かっこええ)

 比較して、藤田まことの演じる奉行所の同心中村主水は、若いときから老けてみえるために、このドラマでもさほど変化がなかった。

 それでも若いので、私が小学生の頃見ていた「はぐれ刑事」の穏やかでひょうひょうとした雰囲気よりも、いくらか山っ気のある若々しい荒々しさがあり、新鮮だ。

 加えて、毎回悪人のゲストが出てくるのだが、ときおりあまりのイケメンの登場に、誰かと思えば中尾彬だったり、前田吟はそのままだったりと、ほっとするなんてこともある。

 

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(↑ いい写真。左:藤田まことの角が取れる前。十分かっこいい。

 右:山崎努、その100倍かっこいい)

 そういうわけで、つい好きになった俳優を画像検索してここのところ、楽しかった。 同じ仕掛人のグループの、紅一点野川由美子は、若い頃は本当に美人でふるいつきたくなるほどキュートであるし、三名目のお披露目の半次役、津坂国章は、若い頃は茶目っ気があるが、おじいさんになってからは、まさに別人であるし、藤田まことにいたっては、ずいぶん前に亡くなっているし、それぞれに年を重ねて、歳月というのは残酷というか、などと思い、自分も確実に年をとっていくのだとしみじみしたり。

 しかし、そんなときたったひとり、山崎努と同じように殺しの主演をはる棺桶の錠役の沖雅也だけ、画像検索しても若いときのみずみずしいきりっとした写真しか出てこなかったのだ。

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(↑ お披露目の半次役:津川国章 おきん役:野川由美子

 この二人は情報収集と陽動を担当し、さらにドラマ中でも、ムードーメーカーで暗い暗殺業に彩りと笑いを添える重要なポジション)

 

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(↑ 棺桶の錠役:沖雅也

 

 その鮮やかな写真の数々にああ、やっぱりかっこええ!と思うと同時に、イヤな予感がした。

 若い頃の写真しかないということは、つまりそういうことだ。 

 調べると、やはり若い時に亡くなっていた。

 それも31歳だった。

 死因は自殺。高層ビルから飛び降りたのだという。

 ああ、切ないと思うと同時に心が痛んだ。

 彼が亡くなったのは、遙か昔のことだが、長生きして、老いさらばえてほしかったと思った。

 沖雅也の演じる映像の中の錠はいつでも正義感に満ちて、悲しみを抱えつつ、悪を許さない血気盛んな若者だった。

 でもそれがいつか年をとり、角が否応なくとれてしまい、おっさんになり、おじいさんになり、それが寂しくもあり、そうあってほしかった。

 しかし、31歳で命を絶った沖雅也はヒーローのまま、二度と年はとらず、フィルムの中に収まったままだ。

 それが、悲しくもあり、切なくもあり、人間を途中で放棄した熱血感でありながら、寂しげな配役の錠にも重なるのだった。

 切なすぎる。

 ヒーローの、冥福を祈るばかりだ。