6月25日(日)社内と社外のHUB(拠点)になる:若手の会、開催!

 

 

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 教育委員会の事務局で仕事をするようになって、3年目。

 ようやく仕事の流れも学校や委員との関わりもわかってきて、

 毎日やりがいを感じています。

 というのは、ちょっと照れ臭いのですが、

 なんていうかいい感じに仕事をこなしています。

 課内15人のうち、古株から数えてもまだ3年目なのに、

 二番目くらいに古いみたいな感じなっていて、

 「どんだけ異動させるんだよ、頼むよ!」

 と思いますが、そこは諦観の念で対応しています。

 

 ほんと、うちのソシキ、なんでこんなに異動させるんだろうね!

 

 とはいえ、本当に最近は質の高い仕事ができているなあと感動しています。

 なんと言っても、後輩がほんとうによく働いてくれて、

 素直で謙虚で、

 スタンドプレーの結果としてのチームワーク的なパフォーマンス(何言ってんだか意味不明)を展開できています。

 

 で、三年目にしてやっと物理的にも精神的にも余裕ができてきて、

 つまり仕事中に無駄喋りができるようになってきて、

 後輩たちを連れて「ごはん会」をしようという企画をするに至りました。

 

 その名も「若手で囲む会(略してワカイ)」若い、和解、輪会、話会等々。

 

 うちの職場はほとんど女性で、管理職だけが男性の職場なんですが、

 例年、課内の飲み会の他に係内で小さな飲み会や気のあった後輩、

 先輩飲みはあったんですね。

 

 でも、私は呼ばれるばかりで、一方で呼ばれても不遜なことに「全然盛り上がんねえ会だな」と内心思っていたので、

 じょじょに行かなくなってしまったのです。

 結論、時間の無駄だと踏んだんですね。

 だったら、個人的に仲のよい友達を誘っていくわ、みたいな。

 

 でもですね、最近、ほんとここ最近なんですけど、

 二十代の後輩が4人、課内にいるのですが、

 この子たちをもっとくっつけてみようかなあ、

 という気になってきたんですね。

 

 今まで自分がそういうことを下の世代にしてこなかったのは、

 罪なんじゃないかと、ふいに思ったのと、

 私自身この職場で責任を持たされるようになってきて、

 もっと下を育てたり、下が気持ちよく仕事をできたり、

 楽しく人生を送れたりするような「場」を

 古株の私がつくってあげられるんじゃないかなあ、

 と思うようになってきたんですね。

 

 年をとったということでしょう!

 

 

 ある意味女子会なんですが、

 職場の先輩と後輩がごはん会をするのって、

 あんがい先輩株から招集をかけないと、

 開催できなかったりってあるのかな、とそういうわけで、

 後輩ちゃんに声をかけたら、「嬉しいです」と本気で目を輝かせているので、

 「私にもまだできることはあったんだなあ(感慨)」みたいな気持ちになり、

 ワカイを開催することに。

 そして、それだけじゃなくて、

 今後は外の人間とうちの課内の人間をつなぐごはん会も開催しようと思っています。

 そういう場って、誰もが作れるわけじゃなくて、

 つなぐ立場、

 つまり両方の人間を知っている人じゃないとできないことなんですよね。

 

 私はこれまで古くは大学の恩師や最近は課内の先輩にこういう

 HUB的なことをしてくれる人がいて、

 こういう人がいればなあとずっと思っていました。

 でも、よく考えたら、今、私ができるかも、

 ということで私が周囲をつなぐHUBをやってみようかということになりました。

 

 考えただけでもウキウキするし、

 みんなが楽し気に食卓を囲んでいるのを想像するだけでも、幸せな気分になります。

 

 そして、こういうことを思うたびに、

 早く家族つくれればいいのにね、この人と思うわけです。

 ま、そっちの先は長いね。(笑)

 では、また次回w

6月24日(土)飛び上がるほど、怖がらせていただいた映画「ライトオフ」

 

 

 ホラーが大好きで、定期的に「怖がらせて」ほしくなります。

 でも、スプラッタやゾンビは怖いのではなく、痛いとか汚いという次元だと思うので、却下です。

 チェンソーとかマチェーテの使用は、ホラーではく虐殺だと思います。

 私はどちらかというと怨念的な存在が好きで(この表現、変態)できれば彼らを上手につかった絶叫するほど怖い話を見たいタイプですw

 そういうわけで、上質な怨念ホラーを求めて先週も旅をして、とてもよい収穫があったので、報告。

 

 映画:ライトオフ(16)公開

 

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(電気が幽霊によって容赦なく停電させられるライトオフ。勘弁して!)

 

  これは、怖かったです。

  明りがなくなると、現れる女の怨霊、ダイアナが母親にとりつき、夫や子供などから彼女を独り占めしようと、母親の周囲の家族を襲うという話です。

 

 この、ライトオフ。

 文字通り、電気を消したときにだけ、視界に髪を振り乱したお女性のシルエットが、現れ、電気をつけると消える。

 再びスイッチを消すと、確かに薄暗い部屋にシルエットが見える。

 またライトをつける。

 すると影も形もない。

 もう一度つける。やはり見える。やせ細り、ざんばらの長い髪にワンピース姿。

 細い両手はすでに攻撃態勢に入っている。

 再び、ライトをつける。

 消える。

 

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次につける、瞬間、シルエットがおそいかかってくる。

同時に重低音の効果音。

 

 

 絶叫!!。

 

 ……死亡。

 

 これが、ライトオフの冒頭5分以内に起こる笑っちゃうほど怖いシーンです。

 もう、ここで気の弱い視聴者は精神的に死亡し、前に進めなくなるでしょう。

 私は箪笥の整理をしながら、これを見ていて、

「これは、行ける!」と、うれしくなりました。

 怖すぎて、爆笑しちゃうというあれです。

 

 

 いやあ、実際、かなり怖かったです。

 まず、もう敵(ダイアナ)が最強すぎて、ひどいです。

 ほとんど主人公は、前半無力です。

 なぜなら、ダイアナは幽霊という存在ながら、

 ロックオンしたターゲットの周囲の照明を使用不能にするという実力行使に加え

 、近接攻撃CQCによってターゲットを切り裂くという攻撃力まで有しています。

 

 ホラー映画の怖さは主人公側がほとんど無抵抗な存在であり、

 ゾンビ映画のように特殊部隊員であったり、CIAや大統領直属のエージェントである場合は皆無です。

 なので、ほぼ無敵の暗殺方法を用いる貞子的幽霊からひたすら攻撃を回避する前半をでけっこう絶叫し後半、

 主人公がやっと幽霊誕生秘話にたどりつき、反撃を開始する頃には、

 消耗しきっています。(笑)

 

 とにかく、全編を通して期待を裏切らない演出です。

 幽霊ダイアナがクライマックスまで全開にならないのも恐怖をそそるし、

 なにより、最後は家族愛でエンドになるので、ほっこりもします。

 

 それもそのはず制作はあの「ソウ」シリーズのジェイムズ・ワンで、

 死霊館シリーズ・アナベルでとても怖い演出と家族愛をテーマにしたホラーを制作しており、私は、彼を天才!と思っています。

 今回も、そんな私の鬼畜なホラー愛を裏切らない仕様となっており、

 ぜひホラー好きの方はヘッドフォン推奨で、ご覧いただければと思います。

 

 けっこう、怖いで(笑えま)す。

6月24日(土)旧人類と新人類:遺伝子改変とトランスヒューマニズムの先にあるもの3/3

承前1/3

承前2/3

 

 とはいえ、私たちみたい人類がこれ以上、

 はびこる世の中というのもすごくサスティナブル(持続可能)じゃない気もするわけです。

 バイオハザードの映画シリーズの諸悪の根源:アンブレラの社長は、

 ちょっと人類増えすぎたから、掃除していい? 

 という短絡的発想から致死率高いウイルスをばらまいちゃうわけで、

 完全な虐殺者です。

 ただし、殺傷率では末恐ろしい精度を誇るエボラなんかも、

 登場当初は、学者をして「人類に放たれた地球からの刺客」なんて言わしめたものらしいですし、

 地球レベルの生態系からすると、人類の所業は悪魔の域かもしれません。

 

 なので、自滅し、生態系に害を及ぼす前に、

 ベストは無理だとしても、

 サスティナブルな生態系と強調するホモ・〇〇を作っちゃうおう、

 そして現生人類はいさぎよく人類史から退場しようとなるのも、

 今後のことを考えるとありなのかな、と思います。

 まあ、その前に新人類対旧人類のスペクタクル戦争が起きるとも起きないとも言えないわけですけど。

 うん、私たちならやるだろう。。あう。

 

 まあ、そういうことを考えると、一つの社会の犯罪、

 つまりノーマルとアブノーマルを規定して、

 ノーマルにとどまらせようとする発想自体が、

 今後レトロな発想になっていくんじゃないかと思うわけです。

 

 ちょっと、ぶっとびすぎましたかね、今回。

 

 でも、サイコパスを見ていると、なんだかむずむずするんですよね。

 大きな声で言えないですけど、犯罪として規定された人々こそ、

 これまで時代のその先を切り開いてきたんじゃないかと、思って。

 

 ただし、それは集団の中の分子の話。

 

 トランスヒューマンの話は集団の分母全員が変容する、そういう話ですので、もっと

 壮大で、容赦ないですね。

 

6月24日(土)旧人類と新人類:遺伝子改変とトランスヒューマニズムの先にあるもの2/3

承前1/3

 

 わかりやすくいうと、計画経済で70年しかもたなかったソ連みたいな感じです。

 そもそも社会のよりよい変革って、

 現状維持から見たら常にテロみたいなもんだと思うんで、

 そういう異分子を排除すれば、社会は生存意義でなくて、

 生存を自己目的化するだけになり、そうした弱い社会は鎖国できなくなったら、

 外国に占領されちゃうと思うんですよ。

 ちょっと結論を急ぎすぎましたが、要は人間から改革、戦う力を奪う制度は自縄自縛になっているんじゃないかということです。

 実際、警察組織も最小限になり、おそらく軍事力もあるとはいえないでしょう。

 軍事力のような戦闘態勢は平和ぼけした人々には担えないでしょうから。

 だから、アニメの中でも鎖国体制下でしか、シビュラシステムは機能できず、

 テロリストはそれを逆手にとってシビュラを破綻させるために、鎖国を解除せざるをえない算段を計画に組み込もうとします。

 まあ、結論、犯罪者を未然に隔離するという発想自体がもう古臭くなりかけているんじゃないかと思うんです。

 最近読んだバイオテクノロジー関係の本に書いてあったのですが、

 2003年にヒトゲノム計画は終了して、人間の遺伝子改変はもういつでもできる状態らしいです。

 けっこう前から騒がれていて、たぶん秘密裡に絶対どこかがやってるでしょう的なかんじですよね。

 そうなると、私たちホモ・サピエンス旧人類となり、新人類に駆逐されちゃうかもというのが、いわゆる「SFあるある」の展開です。

 で、このバイオテクノロジーによって、現生人類をポストにしちゃおうという考え方を「ポストヒューマン」と言います。

 いいんじゃない、こんな欠陥ばっかりで、自滅が好きな種なんてポストにしちゃって、とも考えたりしますが、どうなんでしょうね。

 

 急激な変化、例えばまさにバイオハザード的なパンデミックがないかぎり、

 人類が自然に進化をすることはまずないでしょうし、

 おそらく新人類は人工的に作るしかないと思うんですね。

 そうしたときに、ホモ・サピエンスにかわるどんな人類を作ったら、いいのかなという話になるです。

 

 私の好きな生物学者さんに長沼毅という方がいますが、

 長沼さんは「ホモ・パックス」案を提出しています。

 なんでも共感性に長けて、争わない種らしいです。

 すごくいい感じなんですが、どうですかね、

 どうも去勢された感じがして私は長沼さんは好きなのですが、

 この発想はどうもいただけないんですね。

 

 なんていうか、生物って相克しながらたくましく生き抜くみたいなイメージがあるんですよ。

 それを「共生を強制する」みたいな改変していいのかいな、というようなね。

 

 まあ、生物のたくましさはあんがい「パックス」にしても「戦闘的」気質は抜けないかもしれないですが。

 でも、この遺伝子改変はやろうとすれば技術的にはクリアできるようですから、

 今は費用・安全性・有効性が問題になっているらしいです。

 とはいえ、ぱっと考えただけでも自分が「旧人類」としてみすみすタグ付けされるのも切ない感じがします。

 

hagananae.hatenablog.com

6月24日(土)旧人類と新人類:遺伝子改変とトランスヒューマニズムの先にあるもの1/3

 

 

 

 ここのところ、毎日「サイコパス」というSF刑事もののアニメを見ていました。

 

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 (↑サイコパス アニメ一期 OPから)

 

 アニメ一期が2012年なので、かれこれ5年前になるのですが、

 何度も見ていると作品に対して、熱烈に感動する部分と冷静になる部分が

 極端になってきて、自分の年の取り方もわかるというリピーターぶりです。

 

 どういう話かというと、舞台は百年後の日本。

 諸事情により、経済破綻した地球各国の状況から、

 日本は世界から鎖国を実施。

 完全食糧自給体制を完備し、都市に人口を集中させた小さな世界の中で日本国民はある巨大な監視システムによって生きながらえています。

 人間の心理状態を可視化するテクノロジーをシビュラシステムといい、

 国民の職業適性から犯罪傾向まで数値化し、

 それゆえ、人々はシステムに依存しながらも、

それに気づかない世界で生活をしています。

 

 人々は心理状態を良質に保つために、セラピーやケアを重視し、

 悪化すると犯罪者認定となり(潜在犯堕ち)、社会から隔離されてしまいます。

 それゆえ、刑法・刑事訴訟法・司法がない世界で、シビュラシステムが法、つまり絶対君主として君臨する世界が背景にあり、

 それでもなくならない犯罪を刑事たちが「しゃべる銃」片手に、

 犯罪を取り締まる、そんな中、法の網の目をくぐるテロリストが現れ、、

 というのがストーリーです。

 

 はっきり、言って面白いんですけど、なんですかね、

 

 たくさんのSF小説を読んできたせいか、サイコパスの世界観にリアリティを感じないんですね。

 アニメなので、シビュラシステムだけが突き抜けているテクノロジーで十分見応えはあるんですけど、

 なんていうか、人間の心理を判断して、犯罪傾向を把握して、潜在犯を片っ端から隔離する社会って、意味があるのかなって。

 そういう社会って要はシステムに適合する人間しか認めないわけで、

 ざっくり言っちゃうと異分子を受け入れず、多様性を失っている社会なんですね。

 つまり、早晩、自律性というか、進化の原動力を失って破綻するんじゃないかと思うんです。

hagananae.hatenablog.com

6月24日(土)バイオハザード・ダムネーション(12)が面白かった

 

 なぜ、いまさら。。

 

 

 という感じですが、ここのところ、バイオハザード祭が続いています。

 正直、ゾンビはもういいよ、という感じなのですが、

 1年に一度の周期でZ祭(もう、ゾンビというのさえめんどう(笑))がくるようですね。

 1年に一度のローテションじゃ、けっこうZ好きなのか、自分とも思うわけですが。

 

 最近は、はまってます。

 

 先日も、小学校から給食用の白衣を大量に買った伝票が来まして、つい防護服を思い出しちゃいまして、それを隣に座る後輩に言ったら

 

「いや、全然違う機能だし、Z映画に侵されすぎですよ」

 

 と、言われ、そうかな~と。

 

 

f:id:hagananae:20170624115341j:plain(給食服)

f:id:hagananae:20170624115412j:plain(防護服)

 

 

・・・・・・。

 

 

 

 ま、それは良いとしてフルCG映画「バイオハザード・ダムネーション」

 これ、まだ観てない人で、かつてバイオシリーズのゲームを2作品ぐらいプレイしたよ、という人がいたら、おすすめです。

 

www.youtube.com

 

 この映画はなんと人間とゾンビの派生物である『リッカー』というモンスターと主人公の共闘アクションが見られるんですね。

 

 『リッカー』ってなんなの? と思われる方もたくさんいるかもなのですが、

 ここでシリーズ共通のバイオに登場する敵(モンスター)をさくっと紹介します。

 全部で4種類ぐらいですかね。

 

 ①人間型ゾンビ(Tウイルスに侵され、ゾンビ化した例のZ)

 ②動植物系モンスター(巨大化、狂暴化した植物、犬、烏、クモ等々)

 ③ハンター・リッカー系

 (zがより狂暴化して、素早い動き、高い攻撃力となった四足、もしくは二足歩行のモンスター、しかし元人間です) 

 ④タイラント(高い攻撃力・防御力を誇るラスボス系人間型最終兵器)

 

 バイオハザードシリーズは製薬会社であるアンブレラが秘密裡に作った生物テロ平気が外部に流出、街がゾンビ化、特殊部隊が鎮圧、というフレームワークがあるのですが、ストーリー中、①から④に向かって、モンスターの強度が上がっていきます。

 

 プレイした方はご存じかと思いますが、人間型Zは歩くのも遅いし、

 敵というより障害物に近い強さ(弱さ)なのですが、

 中盤あたりから出てくるハンター、リッカーというモンスターは二、三回攻撃を食らうとそれだけで瀕死、時に一撃必殺される敵というわけで、遭遇したくない奴らです。

 

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(↑リッカー  かわゆさが排除されたフォルム。。握手できないするどい爪。皮膚ないし、もふもふどこじゃない)

 

 で、今回映画の中でばんばんリッカーが登場するのですが、

 主人公と当初、敵対する反政府組織がリッカーを制御するパラサイト生物を使います。

 そして敵にしたらめんどうなリッカー達を従えて、政府軍に立ち向かうというアクションが展開されます。

 で、敵側があくどいことに、強化タイラントを3体ぐらい引き連れてくるのですが、リッカーが人間の命令を聞いて、どんどん対タイラント戦で玉砕していきます。

 

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(↑タイラント イケメンかもしれないけど、握手できなさそうだし、シビリアンコントロールのシの字もなさそうな小さい頭。。同じ生物兵器のリッカーを次々と虐殺!!)

 

 もう、あれほど恐ろしい敵だったリッカーが人間を守るために、

 つぎつぎにタイラントに立ち向かって文字通り血祭にあげられる悲惨さは見ていて切ない!!

 

 しかも、タイラントが強すぎて、

 ロケランもアサルトライフルのヘッドショットも効かないあたりから、いらいらがつのってくるんですね。

「おいおい、戦車でも倒せないって、それ敵としてどうなの?

 俺ごと(町ごと)空爆しろって?」

 と、あまりに最強すぎるタイラントにいらいらマックスになり、

 その間もけなげなリッカー達がタイラントに握りつぶされたりしていくのがつらいし、

 最後はドラ〇ン〇ールか?

 みたいな力のインフレ対決になっていくわけです。

 

 なんだかんだ、戦闘機からの爆撃でタイラントは始末されるわけですが、

 このリッカーと共闘するというアクションにかなり感動しました。

 

 やっぱり、味方は多いほうがいいよね、というような笑

 

 結局、真の敵は誰なのか、というとBOW(生体兵器)をつくった人間ということになるんですね。

 なので、これからは今回戦ったタイラントあたりも、フランケンシュタイン的なストーリーとしてアンブレラに歯向かうなんてストーリーにもなるかもしれません。

 そうなると、まじで人間ってやな奴!!みたいなことになるんですが。

 

 そんなわけで、バイオハザード ダムネーション、面白いでご覧ください。

 

 まとめると、味わえる主な感情は以下の二点。

  • リッカー、かわいそう。。けなげ。。いい仕事した!(俺ごと、ロケラン打ち込め!の 無言の自己犠牲が涙を誘う。リッカーに対する株価、ダイナミックに上昇!!昨日の敵は今日の味方)
  • タイラント、ロケラン投げ返すって、やめてくれよ。そういうの反則だから。  

6月24日(土)恋はよきもの、はかないもの(9回):人生のパートナーは、同じ未来をみている人2/2

承前1/2

 

「結婚するまでは、恋ってウキウキしたり、

 すきすきーって感じだと思っていたけど、

 あれは妄想っていうのかな、あんなのないなってようやく観念したかな」

「あー、それって、恋に恋するっていうやつ?」

「そうかも。

 とくに三十過ぎたら恋なんてそうそう落ちなくなるけど、結婚するとさらにね」

 

「それはあるあるだね。

 私なんか映画で濡れ場のシーンあっても、はい、ファンタジー。

 どうぞ、ご勝手に、なんてしれーっとしちゃうもん。

 だいたい、あんな恋愛なんてないから商品にして大量生産してるわけで」

「不倫とか、不倫とかね」

「あー、まあそう。作家志望としては言っていてむなしいけど」

「でも、やっぱ、妄想だって思うよ。

 逆に仕事だと思うとできる。

 今は旦那に食べさせてもらっているし、

 やっぱり彼が考えるビジョンって大事だと思うから」

 

 彼女はそういうと湯呑をじっと見つめた。

 たしかにそのまなざしは冷静で、同時に熱い信念が宿っていた。

 

「なんか、そういうのって実は夫婦の理想、っていうかパートナーの理想な気がする」

 私はふと、おもいだしたように最近見た刑事モノのドラマを彼女に説明した。

 ストーリーはおなじみの、女性の新米刑事が男性の先輩刑事にサポートされながら、ある犯罪者を追うというものだ。

 男女の相棒ものだが、物語内に彼らの恋愛要素はいっさいほのめかされず、

 あくまで同僚という形でストーリーは展開していく。

 しかし、彼らのピンチになると互いを優先する行動規範は、

 一人が欠けたら自分の一部が欠けてしまうような危機感さえある。

 それはもう、理想のパートナーと言わずとして、、、みたいなところがある。

 

 私は話をしながら、結論まで持っていくことにした。

「最近、思うんだけど、私、この年になって恋とか、好きとかでくっつくのは限界があるんじゃないかって思ってるんだよね」

「うん」

 今度は彼女が聞き役になった。

「確かに好きっていう人はいるんだけど、

 結婚になるともっと次元が高くなるっていうか、

 つまり、私がパートナーを見つけられるとしたら、

 その人の見ている未来が私も同じだって思えるときなんじゃないかって話。

 だからさ、さっきの刑事ドラマの話じゃないけど、もしかすると、

 その人のことすら、男として好きとか思わないかも。

 でも、その人が見ている未来を支えたいって思って、

 その人のそばにいることになるかも。

 そうしたら、結婚するかもな、って思う」

「うん」

 彼女は静かにうなずいた。

 とはいえ、だ。

 とはいえ、私にそんな人はいない。

 だから、今の本音はこうだ。

「でも、私はやっぱり自由がいいな。

 旦那のめんどうみたり、誰かのサポートしたりじゃなくて、

 自分の好きなことしたい。自由がいちばん大事」

「ななえちゃんらしいね」

 

 そんな感じのことを話した昼休みでした。

 

 三か月ぶりに会う彼女とすぐに結婚や、

 人生の生き方というディープな価値観のスレッドを立てられることに驚きもし、

 自分の結婚観の発見にも驚きました。

 ここのところ、なんとなく考えていた自分にとっての結婚とはなにか、

 パートナーとは何か、というテーマが彼女の話にインスパイアされて飛び出して来たんでしょうな(←親父)

 

 というわけで、もつべきものは、気の合う友人とのランチタイム。

 これを幸せといわずとしてなんという。。

 というわけで、また次回!

 

 

 あとがき

 

 

 推敲のために読み直したら、すげえ恥ずかしいこと書いているな、と思いましたが、まあ、恥ずかしくてなんぼでしょう、と開き直って載せます。

 つーか、私の結婚観、もう映画の見すぎですね。。やばいですね。

 

 というわけで、見ないふりして、また次回!(笑)

 しかも今回、ですますから、いきなり、である調に変わってるし。。まったく。。 この人は。。