10月29日(日)10月に観た映画(ラジオの時間・殿、利息でござる、ジュラシックワールド、パッセンジャー)

 

・ラジオの時間

・殿、利息でござる

ジュラシック・ワールド

パッセンジャー

 

 ラジオの時間(97)三谷幸喜作品

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 三谷幸喜作品は普段は観ないのですが、今現在私生活でソウヤ(飼い猫)が闘病生活に入ってしまい、その疲労というか心痛からコメディを観るしかない、という心境に至りました。

 この作品は、ラストがハッピーエンドで「あ、よかったな」と言える仕上がり、どちらかというとエンドロールよりも、作品のところどころに、見る側の心理的クライマックスがくるような作品でした。舞台演劇が原作で、一貫したストーリーがあるというより、その場その場のドタバタがあり、その回収に奔走するスタッフの悲喜こもごもを描いています。

 この作品が公開された当時は私は中学生でしたが、当時だったらわからなかった面白さがありました。なんと言っても、現場のリアルというか。

 イベント当日にトラブルが発生し、そのシューティングに現場のスタッフが能力を総動員してあたる、というような。見ていて、わかる、わかるよそれ! というシーンも、こういうこという奴いるんだよな、ほんと参るよ、っていうかそういうこと今、いうなよ、あのさ! っていうか頼むよほんと。みたいな人物も多く、やたらとあるあるが多すぎて、逆に疲れちゃう現場のリアル、それが「ラジオの時間」です。

 現場というのは、理想を追いかけたくとも様々な制約がそれを許さず、今ここで形にしなければならないという切迫感の連続です。その中でいかにベストを求めず(無理だから)ベターにするか。

 むしろ、いつもそういうトラブルシュータをしている予算のない現場にいるので、距離感がとれず、むしろ疲れちゃった感もなくはない。でも、それでも現場でくじけない人はいるもので、というか周囲があまりに怒っていたり絶望していたりすると、かならず冷静になる人間はいるというのも、腐りきっていない組織の魅力でもあり、なんだかんだ、この映画を見て「がんばろ」とゆるく思えるのは三谷作品の魅力かな、と。

 ちなみに私が一番好きな三谷作品は「振り返れば奴がいる」です。このラジオの時間は、この「振り奴」のときに、自分が知らない間に脚本が書き換えらえていたときの体験がベースになっているそうです。

 

 殿、利息でござる(16)

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 いや、悲痛の極致のためコメディ二本目です。

 ところが、どうして感動作でした。

 この映画の見どころは何と言っても、嫌な官僚役の松田龍平君でしょう。龍平君と私は同じ年なのですが、ほんとうに凡庸な役はできない人というか、凡庸な役をやってもトリッキーになってしまうというか。

 今回は平気で下々の人間の努力を「却下」と言う、役人を演じていますが、超絶腹が立つけど、こういう役人っているよな、と江戸の頃から日本人てやつはよお、と言いたくなるリアルな役どころです。しかも、なんか左右不対象の彼の顔立ちが無表情の怜悧な役人にぴったりというか。

 江戸時代中期。

 仙台藩の宿場町の一つが重い税金をなんとか解消しようと、義侠心を起こして血のにじむような努力をするというストーリーをコメディタッチで描いています。

 コメディであろうとなかろうと、史実がベースになっており、この財政改革をしなければ、町が存続できないという状況はまさに今の日本の地方と重なっており、江戸時代の話には思えません。言ってみれば、江戸時代版町おこしのための資金を作ろうというお話です。

 江戸中期の頃は、本当に平和な世の中になってしまい、武士なんてものはいらなかったのですが、この階級を各藩食べさせるために、農民に重税を課したり、特産を作ったりと、日本全国様々な改革を実行していた時期です。

 この時代を掘り起こすと、なんというか日本人にもほんとうに素晴らしい人たちがいたのだな、と心が熱くなります。

 ただし、一般的に知られている江戸中期の財政改革は実は老中や家老など武士階級が多かったのも事実です。この作品のように農民階級から自分たちの財政基盤を作ろうという話は、初めて知りました。

 江戸中期と言えば商品経済も発達して、武士よりも町民が豊かになっていった時代ですから、そうした史実も実はたくさんあるのかもしれないです。

 映画では、当時の身分差別のある社会の中で底辺の農民たちが一歩一歩自分たちの力を固めようと知恵を絞る忍耐が描かれており、それは今の私たちの置かれている時代の閉塞感なんかよりもっと大きな壁に阻まれていたような気がします。そんなかつての日本人の英知は見ていて元気がでるものであります。

 

ジュラシック・ワールド(15)

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 よかったです。もうまんま、いつものパターンなんです。

 よせばいいのに、エンタメ大好きで神をも嘲笑する所業を恐竜にほどこし、生物なんてものは、常に人間の予測を超えたふるまいをするものだとわかっているのに、例によって今度は最強の遺伝子を持った白い恐竜なんてものをつくり、それが開園中に脱走するという。

 しかし、今回は20年前に私の心を射止めた中型頭脳プレイのハンターラプトルがなんと、人間とその白い恐竜を倒すために共同戦線を張るという、萌えが!! 

 いやあ、よかったです。

 なんというかバイオハザードで見た、人間と生物兵器共闘まんまでもありますが、面白かったのです。

 でも同時に、またこういう頭の悪いことを平気でするアメリカ人ほんと腹立つなあ、と思いましたよ。なんていうか、生物で遊ぶなよ、と。

 そういうわけで、ラプトルがなぎ倒されるシーンは見ていてつらくてつらくて、ほんと人間って愚か、と思い、またこういう映画を半分ウキウキしてみてしまう自分にも腹が!

 そろそろまじで続編はやめたほうがいい域に入ってきたのかなと思います。はい。

 

 パッセンジャー(16)

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 うーん、なんていうか正直、映像は素晴らしかったのです。まさに星空間飛行してるって感じで。あと、船内システムがエラーを起こして、プールの水が浮き上がっておぼれそうになる津波の感じとか、まあ無数の星々が煌めている宇宙なんかが最高によかったです。

 でも、なんていうかいらっとする映画でした

 端的に言うと、サバイバルしてるって感じがないってことにつきると思います。

 90年後にしか到着しない宇宙船で目覚めてしまい、一生を船で過ごすしかないという状況。これが主人公の置かれた危機感なのですが、船内はいわば豪華客船であり、どちらかというと膨大な無為な時間と引き換えに恋人の女性と邪魔するものもなく、豪華なアクティビティを満喫し続けることができるという、楽園という名の牢獄(言っていて恥ずかしいぞ)に繋がれた主人公の話です

 たぶん、見るタイミング悪かったんでしょうね。

 全然、不幸でもないでしょうよ。

 豪華客船でフレンチフルコースに銀河のさざ波。

 一生見てろ!みたいなね。

 ひどいね、この感想。

 でも、なんだかシングルの孤独をがしがし突き刺すようなそんな映画だった気がするんですねえ。笑。

 

 

 というわけで、10月に観た映画、まだまだたくさんありますが今月はこれまで。

 来月もこういう軽い感じで続くと思いますが、もしかするとテーマごとに映画を話して行こうかなと思っています。映画レビューもあと20本くらいをめどに、ひと段落かなと。そろそろ、映画との付き合い方が変わっていくのかなと思っています。

 では、今月も沢山のご来場、ありがとうございましたw

 

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(おまけ、『殿、利息でござる』より松田龍平くん。すごい顔だ。。笑)

 

  

 

 

10月26日(木)インフィニティ(かなり不穏なハッピーエンド)

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(2015年 オーストラリア映画)

 

 よくよく考えると映画にとってハッピーエンドは重要ではない。

 

 この映画の結末は、いわゆるハッピーエンドではないし、言いかえると一部不穏さの残るハッピーエンドというか、表向きハッピーに見えるバッドエンドというか。

 それでも、私はハッピーなんじゃないかと思う。

 

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 この作品は未知との遭遇がテーマになっていて、さらに言えば舞台が銀河系で最も地球から離れたインフィニティという惑星で、そこは光も生命もない場所だ。

 

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時は23世紀、スリップ・ストリーミングという方法で物質をデータ伝送できる装置が開発されており、人類はデータ化されて、銀河系を瞬時にタイムワープする。タイムラグが生じるために、地球での一分がインフィニティの24時間になる。

 そういう時空間で、インフィニティで大事故が発生し、救出に向かった戦闘部隊が全滅、一人の生存者が取り残されてしまう。

 緊急救出班が再結成され、インフィニティに伝送されるが、そこで彼らを待ち受けていたのは未知の獰猛な捕食者だった、という筋書き。

 

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 この映画はSFスリラー風味であり、暗いインフィニティの基地で繰り広げられるサバイバルが表面的にはゾンビ合戦に近いことから、かなりマーケットが狭まってしまう作品になっている。

 それでも、この映画はタイムラグやスリップストリーミングで瞬時に移動できるガジェットや、謎の捕食者の特性、取りついた生命の体内組成を正確に複製するということ、事件の場所が銀河系の最果てであるということなど、そのすべてが物語の設定として正確に機能していて、見ていて安心できる。

 さらに言うと、あまりにかっちりと完成されすぎていて、非の打ちどころがない。ラストは冒頭の繰り返しになるが、不穏な雰囲気のたちこめるハッピーエンドであり、その複雑さも背すじがぞくぞくする納得感がある。

 私はこの作品がすごくよくできたスリラーだと思うし、それ以上に人類と出会った未知の獰猛な生物が生き延びるために、人類のサバイバル術を学びハイブリッドに進化する成長物語だと思う。

 人類が頭脳を発達させ、他者と協調することで地球の支配者となりえたように、惑星インフィニの生物は、人類を捕食することで私たち人類のおおげさに言えば英知を学び、人類と妥協することを選んだ。

 互いが生存するために、互いのよさを取り入れるために自分たちの持ち分を失うことは必要な妥協だ。そうして人類とインフィニの未知の生物の結婚式が成立したともいえるラストはたとえ多いに不気味であろうとも、やはりハッピーエンドだと思う。

 

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10月25日(水)シークレット・アイズ(あなたは隠された瞳の中の真実をいくつ掘り出せる?)

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 映画は痛みという感情にあふれている。だから、現実の世界で苦しい時に映画に触れると、必要以上に人物の痛みに敏感になってしまう。

 

 この映画を観ているとき、そういう状態だった。

 映画の中で同僚の子供が殺害され、同僚達が事件捜査に乗り出すが、彼らが属する警察やFBIという組織が犯人を守る側になっている、その状況そのものがあまりにつらく、私はこの映画の違う側面をみようと必死になってしまった。

 

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 その結果、私はこの作品を事件後13年間を経ても犯人に固執する執念の刑事ドラマとしてみるのではなく、犯人に同じくらい固執しつつ、同僚である女性検事(ニコール・キッドマン)に想いを寄せる男性(キウェテル・イジョホー)の物語として観た。

 

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 物語でニコールは検事に昇進する才媛で、キウェテルはスラム育ちの秀才のFBI捜査官役だ。冒頭で同僚(ジュリア・ロバーツ)の娘が殺人事件に巻き込まれ、彼女の事件を追うことになる。 身内の事件を執念深く追い続けるのはキウェテルで、彼はFBIを辞職してからも、犯人を追い続け有力な手がかりを手みやげに古巣に舞い戻り、二人の元同僚と再会する。二人の女性は対照的な日々を過ごしており、それは外見に現れていた。ジュリアは娘を失い、老け込み、ニコールは昇進し、相変わらず美しく輝いていた。

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 キウェテルは犯人に固執するのを同じくらい、ニコールに対する好意を継続し、13年度も秘めていたが、初めて会ったときにすでに婚約していたニコールにその想いを打ち明けることはできなかった。そのもどかしさはいらいらするほどで、ニコールはもちろん彼の気持ちに気がついているので、再会後、彼にこんなことを言う。

 

「あなたは鈍い」と。

 

 ニコールは夫と良好な関係を結んではいるが、それは夫が彼女を理解しているからだという。それが彼女が今の夫と結婚した理由で、今も配偶者である理由なのだ。

 その夫という男性はニコールがキウェテルを夜に自宅に招き、リビングで親密そうに二人で話をしているのを目撃しても微笑んだまま二階にあがっていってしまう。

 これが彼女を理解しているということなのだろうか。

 ニコールはこの映画のなかで、仕事を精力的にこなす野心的な女性として描かれている。それが伝わってくるかというと、実はそうでもないのだが、そういうポジションにおり、キウェテルはそんな彼女に強く惹かれながらも彼女の立場や気持ちを配慮するあまり、それから彼女から拒絶されることを臆するあまり、長い間、気持ちを打ち明けられないでいる。

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 ニコールが13年後に彼に言ったとおり、もしかすると彼女は強引な男が好きなのだろうか。彼女が許容する男は、彼女を好きという積極的な男なのだろうか。私はそれだけれはない、と思った。

 夫が理解している。

 それは、こういう意味ではないか。

 つまり、彼女は男よりも仕事を愛する女であり、それを理解してくれる男性であれば、私はあなたの妻になる、とそういう関係がニコールと夫の関係ではないのだろうか。

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 それとも、そんなことはニコールと夫の相性がそうなのであって、キウェテルとであれば違ったのだろうか。

 仕事を愛する女性は男性を愛するよりも愛されることを選ぶのだろうか。

 この映画を観ているとき、映画の大どんでん返しはより悲劇的なものになるのだが、私はキウェテルがニコールに言われた言葉のほうが悲劇に思えた。

 キウェテルが演じた男性が持つ執念というエネルギーをもし、ニコールに向けられていたら、二人の結末は違ったものになっていたのではないだろうか。

 シークレット・アイズ。

 三人の男女がそれぞれに言葉に出さないでいる真実をどれだけ掘り出せるのか、それは一部誰にもわかる形で開示されるが、あとのいくつかは観客の想像にゆだねられる。

 

   

10月25日(水)午後八時の訪問者 (どうか彼女が救われますように)

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 罪悪感を背負った人物の行動は見ていてつらいものがある。

 彼女の場合は、医者として誰にも非難される筋合いものではなかった。

 時間外のブザー。

 応対する必要はない、と見切りをつけた午後八時。

 しかし、その時間に防犯カメラに写った黒人の少女は翌日死体で見つかった。

 自分があのとき、扉をあけていれば。

 その罪悪感から医師であるジェニーは名前もわからないまま死んでしまった少女の消息を一人で調べ始める。

 

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 この映画はかなり特徴的な作りになっていて、途中BGMがいっさい流れない。

 医師ジェニーの一人称で物語は進み、彼女が日々小さな診療所で代診をし、巡回往診をしながら、たくさんの所得の低い困った人々を支える風景の中で地道に被害者の少女のことを聞き回るある意味単調な物語だ。

 医師ジェニーが被害者少女に対してどれほどの罪悪感を持っているのかは、ほとんと言葉で語られることはなく、彼女の行動を通して彼女の罪悪感の深さと、彼女の良心がかいま見ることができる。

 この映画を見ていて、フランスの往診では白衣を着ないので、全く医者に見えないことが新鮮だったのと、いつもみるフレンチ女優の脱力感がほんとうに脱力しすぎて(髪は櫛をいれずに、洋服は常にカットソーにパンツ)女っ気がなく、プライベートで恋人とも友人とも会わず、時折患者にケーキやおやつをもらって、それを朝食や夕食がわりにしているジェニーの風景を見て、あまりにも生活に穏やかな時間というものがなく、フランスで女医師をすることの悲哀のみが感じられてしまった。

 

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 しかし、医師というのは本来、人助けの仕事であり、職務として患者や患者の家族以上に病状に対して冷静沈着であらねばならず、熱心であらねばならず、ある意味でオンオフがないような生活にならざるを得ない。

 そうした医者であるジェニーは昇進を蹴って、診療所という小さな機関で貧しい人々の往診をすることを決意するが、その決意そのものもこの映画では彼女の外的なアクションで描ききっている。

 だから、この映画では彼女の言葉というものはほとんどなく、彼女の行動だけが描写される。

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(監督・脚本のダルデンヌ兄弟

 彼女が患者の老婆を支えながら診療所の階段をゆっくりと降りてゆく様子。糖尿病で巨体になってしまった男性をいすに座らせるために支える様子。彼女が被害者少女のために市営の共同墓地を買う様子。それは映画を見ていると退屈なのだが、離れてみるとじわじわくる。

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 彼女が医師としていきることになったその根本の理由。人を助けたいという気持ち。

 人を助けることを仕事にしたために、ある意味で切り捨てた時間外診療。しかし、そこで彼女は一人の少女を助けることができなかった。それは、彼女の人生の指針とは全くずれたことだった。

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 だから彼女は日々の医師の仕事を続けながら、できるかぎり周囲の人々の支えになろうと努力する。

 働く女性を見ていると、こう思うことがある。一人の母親になるよりも多くの支えになっている彼女がどうか救われますように。

 どうか幸せになれますように、と。

 物語のラスト、彼女は一人の女性を救って、そのことで彼女も少し救われる。

10月25日(水)アナザー・プラネット(主演女優に嫉妬するの巻)

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 まだ若い時には、真実を語ることが優しさだと勘違いすることがある。

 

 

 でも、本当に相手を思いやるのなら、自分の中で痛みと罪の意識を秘密にし、一生相手に言わないことが優しさだと思う。

 三十代も半ばをすぎて今はそう思う。

 

 この映画ではそういう私の年老いた発想をあざ笑うがごとく、ブリット・マーリング演じる主人公は自分の未熟さを一見反省しているように見えながら、全く反省していない態度を最後までとり続ける。

 自分が軽率から犯した人殺しという罪に対する罪悪感。

 人は罪悪感から逃れるためなら、他人を傷つけてもいいのだろうか。もちろんそうあってはならないのだが、罪悪感というのはそれほど人に間違いを犯させるものなのかもしれない。

 

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(物語の設定として、もう一つの地球が存在する)

(その地球には、もう一人の自分が存在しており……)

 

 この映画で主人公は罪悪感から逃れたいあまり、罪を犯した相手のためになると思うことを一心不乱にする。

 しかし、それはやはり自分のためでしかない。

 その行為が相手を本当に思うのか、自己満足になるのかは、主人公が秘密を告白するかしないかの違いにある。しかし、この映画で主人公は罪を告白してまたもや罪悪感から逃れようとする。そして、被害者をより傷つける。どうしてこんなことができるのか、ほんとうに年寄りの私はわからないのだが・・・・・・

 

 いつも思うのだが、私はこのブリット・マーリングという女優の演じる女性がものすごくうらやましくなることがある。

 もちろん、演技と演出と脚本のせいなのだと思うが、以前に観た「ザ・イースト」という映画でも未熟な女性を演じており、身勝手で愛を与えるのではなくもらいに行く女性を演じていた。なんて女だと、毎回思うような役柄なのだが、まさか素じゃないだろうな。

 いずれにしても、相手を思いやるふりをしながら、平気で自分中心の振る舞いをしてしまう、年齢と知的美人の見た目にそぐわないおバカな女性を演じるのがもはや彼女の芸風とさえ思えてくる

 

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 そんなわけで、この映画は地球と同じ歴史というか流れを持ち、同じような発展の末に人類一人一人も鏡のように存在するというもう一つの地球があり、そこに行けるというSF風味の設定がある。

 罪を犯した自分がもう一つの地球に行ったら、全く違う人生が待っているのではないのか。そんなSF的設定があるのはあるのだが、そんなことはおかまいなしに、主人公の人生に対する姿勢にとことん疑問とそれの倍する怒りを地味に感じてしまうアナザー・プラネット。

 ブリット・マーリングに嫉妬する回なのだった。

10月25日(水)新少林寺(11)簡単に改心するくらいなら、はじめから悪いことしなきゃいいのに!

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(アクション活劇ではなく、時代劇に近い)

 

 憎い敵に死なれたくらいで、改心するくらいなら、はじめから悪いことしなきゃいいのに。

 

 

 いきなりこの映画とは関係ないけれど、最近実写映画にもなった「無限の住人」というマンガがある。少女凛は、両親がある剣術の流派に虐殺され、仇討するために用心棒を雇い、二人三脚で敵を倒して回るというストーリーだ。冒頭、凛が両親を虐殺した敵の首領に再会し、そのときにその首領から「おまえにはすまないことをした」と軽く謝罪されるシーンがある。凛は、激昂し、「謝るくらいなら、最初からしなきゃよかったんだ!」と、江戸随一の剣客である逸刀流当主を足蹴にする。

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(ムゲニン 右が主人公の凛)

 

 この「新少林寺」をみたときに、私はこのシーンを思い出した。

 ある人間を絶望の淵に落とし込む。

 そういうことをした人間はそう易々と自分の過去の悪行を後悔したり、まして改心なんてしてほしくない。

 ある意味ですごくおかしなことを言っているのだけれど、つまり悪役にはぶれないでいてほしいのだ。

 

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(ハンサムすぎる、、新少林寺で今回私がディスってる悪役君)

 

 主人公はいい。元々悪でもそれが善人になることがあっても、その変化に観客は喜ぶ。しかし、悪人役が、やすやすと主人公と同じ痛みも優しさもわかる人間であったら、あまりにもスケールがミニマムで絶望的になる。

 悪役にはどこまでも悪であってほしい。

 悪とは、つきつめると人間のもう一つの極なのだ。

 優しさとか愛とか慈悲とかそうしたものを越えた自然の摂理に基づく、もしくはそれを超越しようとする存在だ。それは神に近い発想と感性を有し、だからこそ平気で必要性に基づいて多くの人間を虐殺したり、一人の人間を気まぐれに助けたりする。つまり、並の人間には理解不能な存在、それが究極の悪人だ。

 

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(これまた関係ないけど、悪人の代表『銃夢』よりノヴァ博士)

 

 主人公である人間と感性的に同じ土俵に立ち、愛を失って悲嘆にくれ、自己犠牲の愛を受けて、改心するようななまっちょろい感性では困るのだ。けしてヒューマニズムでは理解しきれない存在、それこそが悪であり、そんな悪だから魅力がある。

 で、この「新少林寺」ではそういう悪ではなく、人間寄りの要するに親役の主人公に実力を認められなかった不良少年が親の関心を惹くためにいやがらせをするが、親に助けられて改心してしまうという浪花節が漂う。そこで戦っているのは元不良と不良であり、最後には人間になってしまうという教育的ラストでもある。そこには悪なんてものは存在せず、ひたすら不良少年の悔恨があるだけだ。

 

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(今回の『新少林寺』の釣りバカ役ことジャッキー。。もう西田敏行っぽさ最高潮)

 

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(こういう( ゚Д゚)がまじで似合うww)

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(いい忘れましたが、主人公アンディ・ラウの妻はファン・ビンビン。絶世の美女)

(しかし、中国人って子役に美形は皆無だが、大人になるとすごいよね。すごい美女が。さすが母数世界一)

 

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(子役美少女といえば、てんてんwwかわゆいww 中国の至宝ww)

10月24日(火)すきすきすぎて、いったいどこが「カンフーパンダ3」

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(パンダ役ジャック・ブラック 等身がほぼ同じ、、、ww)

 

 毛のもふもふもっふるぶりがとことんかわいい。

 カンフーがかっこいい。

 中華的風景がいい。

 師匠、導師に萌える。

 ヒーローストーリーに燃える。

 努力、友情、勝利。

 ドリームなワークス。

 どこがいいって、全部いい。

 

 わかってくれなくても、私が好きだからそれでいい。

 そんな映画の一つがこの『カンフーパンダ』シリーズだ。

 

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(パンダ、お腹ですぎです。。。でも好き。。抱き付きたい!!!)

 

 ドリームワークス制作のフルCG作品。主演カンフーパンダことポー役はご存じジャック・ブラック

 モーションアクターまでやっていてもおかしくない。本人と中身がほぼ同一でデジャブる。ジャック・ブラック=パンダ。もっさり、腹で三等身。でも、顔は悪げでちょっと見イケメン。

 ああ、結婚したい。笑。

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(まじで中身すぎる)

 

 今更私が告白しなくとも全世界でヒットし続けているこのパンダシリーズ。

 日本でも最近上野でパンダが生まれたりと、世の中はモッフルブーム。好きな動物は何かと聞かれ、にゃおすはもちろんのこと、獣全般、そしてゴジラ、エイリアン、生物兵器と生き物と名の付くものがすべて映画の中で虐殺されることに心の痛みを感じるこの頃、どうしてこのシリーズを忘れていたのか。

 

 私にはパンダいた!(笑)

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(熊猫=パンダ。。ネコの要素ないと思うんだが、、木登りできるのか。あの体系で)

 

 しかしアニメファンというには嗜好がSF刑事ドラマに偏りすぎ、政治テロ犯に萌えすぎ、ネズミーランド系や女子高生タイムトラベルものがいかにブラックホール並の引力で世間の人々を飲み込もうと、吸引されなかった私は、いつのまにかアニメやCG作品そのものから自然と別世界に住むようになっていた。

 パンダシリーズ以外はドリームワークスのお仕事そのものに目を通したことがないため、そもそも好きなものは、このパンダでカンフーで中国でぽっちゃりでジャック・ブラックということなのだろう。

 出会いもそういえば、中国だかモンゴルだか行った帰り道の飛行機の中で、暇つぶしに流されていたのを見たにすぎない。これが、出会い。

 

 上海経由、ウランバートルだったか、北京経由西安だったかは覚えていないけれど、そのどっちかだった。そうでもなければ、一生ドリームなワークのパンダを観ようとは思わなかったに違いない。しかし、その偶然が私とパンダの出会いに繋がった。人生とはよくわからないものだ。

 この映画ではもちろん、ぼよぼよぽっちゃりを通り越したDB(データべーすではない)ことポーが仲間と出会い、師と出会い、成長を遂げながら持ち前のおちゃらけと適当さを維持しながら、そのおちゃらけに見事に巻き込まれながらヒール(悪役)に徹しきれない敵をなぎ倒すという痛快活劇だ。

 アジアンカンフーにありがちな、敵の改心なんていうなまっちょろいこともなく、完膚なきまでに倒して、それでおしまい、平和がもどるというシンプルかつ子供向けと言い切ってしまっていい話ではある。しかし、ポーが落ち込んだとき、師や仲間が彼を励ますために使う言葉の中には大人の私たちが観ても、十分勇気づけられる言葉がつまっている。

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(いや、わかった。お前がジャックとパンダが双子だって言いたいのは、わかったからもうやめろ)

 

 私などは、涙もろい上に師弟愛萌えなので、シリーズ冒頭でさっさといなくなる亀のウーグウェイ導師が昇天するところではぼろ泣きしてしまった。

 そのウーグウェイ導師のセリフはぐっとくる。

 君はこれまでと、これからのことを気にしすぎる。

 今日は天からの贈り物(プレゼント)

 だから、現在(プレゼント)という。

 

 英語、奥深い……というののもあるが、この過去と未来にとらわれずに現在に集中して、やるべきことを冷静に見つめることは誰にとっても現実的なことだ。

 これまでの過去は変えられない。

 しかし、今日を生きることで明日は変わるかもしれない。

 現在に集中する。

 これは、未来に対する不安をとりのぞくための呼吸法をあみだした禅を含む仏教の教えにもリンクする。

 子どもが観ても、なんとなく励まされるこの含蓄を含んだ言葉は、仏教や武術の概念を取り混ぜながら、物語のあちこちで輝きを放つ。こういう言葉は、なにげに子どもよりも大人に響くのではないだろうか。

 と、まあ説得力のある啓蒙発言もさることながら、この映画の見どころはポーにはじまる動物ちゃんたちの毛並のリアルさである。

 まさに一本一本。

 そして、英語圏でしか通用しない、英語顔の表情豊かな動物たち。

 見ているだけで、癒されて元気になるカンフーパンダ。

 『4』が出たら、今度こそ劇場で会いたいと切実な思いで今日を過ごすのである。

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(どや顔やねえww)

 

(こちらはテーマソングカンフーファイターのdance)

(こんなdanceをしているとやせてパンダにはなれませんよww)